高島福岡市政の16年(4-5)防災や環境整備への共働・共創が求められている
福岡市長選でどの候補者が当選しても、今後のコミュニティ支援の方向性は未知数だ。ないがしろにすることはないだろうが、各候補の具体的な施策は見えてこない。そして来春には統一地方選で市議会議員選挙も控えている。これからのコミュニティ支援に求められる方向性を考えていこう。
地域コミュニティから眺めた高島市政16年(5)
各校区に1館ある公民館
福岡市では小学校区に1館市立公民館を設置している。その数150。つまり自治協議会の数におおむね対応している。このきめ細かな配置は実は全国でも珍しい。地域コミュニティの核として、活動に参加している住民の拠り所にもなっている。
2004年の町世話人廃止~自治協議会制度移行にあたって、福岡市の公民館は教育委員会から市民局、すなわち首長部局へ移管が行われた。生涯学習・社会教育機関としての役割とともに、地域コミュニティ支援の役割が付与され、近年後者の性格が強められている。
公民館とは、社会教育法によって各自治体に設置されている社会教育施設である。従って国の所管は文部科学省となる。一方、よく似た機能を持つ施設としてコミュニティセンターや市民センターがある。こちらの設置根拠は地方自治法。所管は旧自治省・現総務省。住民にとっては違いが良くわからないし、実態としてもやっていることは、ほとんどクロスオーバーしているのだが、一部の学者さんたちの間では、あり方論をめぐっての「神学論争」も見受けられる(独断です)。
そもそも戦前・戦中、国家が教育を通じて思想統制を行い、また隣組制度による相互監視を行ったことへの反省に立って、戦後「民主的」な社会を実現するためにパブリックな国民意識と地域の復興を果たそうということで誕生したのが公民館で、なじみの深いこの施設が日本独特の制度であるというと驚かれる方も多い。
GHQは町内会を解散させた
終戦直後には、GHQが軍国主義の温床の一つとして町内会の解散を命じたことをご存じだろうか?やがて天皇制の温存とともに安定的な統治の手段として有効であることが理解され、民主的な町内会の発足が推奨された。とはいえ家父長的な風土は色濃く残っていた。学校での「民主教育」とともに、公民館は地域での風土改革の役割も期待されたわけだ。
そして福岡市でも公民館の設置が進められる。その際、半官半民すなわち設置費用の半額を地域住民が負担するという方法がとられた。土地の提供なども行われたようで、このため福岡市では「公民館は我々住民の施設」という意識が強かったといわれる。戦後の貧しい時代に一世帯いくらと町内会での分担金を負担して建設されたというのだから当然だろう。
さすがに政令市昇格後は設置にかかる費用は全額公費負担となったが、福岡市では今も地域コミュニティと公民館はセットになっている。館長の任命権も地域の推薦委員会(自治協議会や各種団体、PTAなどで構成)が実質握っている。この資産をいかに有効に活用するかが、新たな「福岡方式」の肝となるだろう。
公民館に配置されているのは特別職非常勤職員としての館長1名と、会計年度任用職員で週27.5時間勤務の主事1名。これに業務補助として「有償ボランティア」(補助要員)が数名。マンパワーとしては十分とはいえないが、それでも地域に密着して生涯学習とコミュニティ支援に汗を流していることはもっと評価されて良い。
公民館活動も民間事業者やNPOなどと積極的に提携しようという方針が打ち出されているが、活動内容の適切なマッチングをどう進めるのか、とくにDXの有効利用などが工夫のしどころだ。
防災・環境整備が両輪
高島市政16年のなかで、福岡市は都市として人口も機能も成長してきた。一方、インフラが追いつかず交通渋滞やプレハブ校舎の大規模校などの課題も多い。市の足腰として「町民の町、住民自治の気風」というDNAを次世代に継承し、持続可能なシステムとして繋いでいくのかが、次期市長、市議会、そして市民に求められている。
自治体の住民サービスが充実すればするほど自治会・町内会への住民ニーズが薄れるというジレンマがある。人口も税収もそれなりに伸びている福岡市のような都市圏ではなおさらだ。「加入してなんのメリットがあるのかわからない」という声も多い。行政側からは手放したくない組織だろうが…。
しかし、自分が生活し働く地域は、自分たちの努力で守り振興させていく意識が遠のけば、明暗は一気に反転する。まして少子高齢化は今後ますます深刻になる。
自治会・町内会の存在意義は、当面「防災」と「環境整備」の両輪に集約されると考える。緊急時(非日常)に必要となる自主防災力のための最低限の近所付き合い。そして日常生活のための生活環境の維持・整備。
清掃やゴミなどの問題だけでなく、子育てに適しているか、交通安全や防犯はしっかりしているか、お年寄りは安心して暮らせるか、健康な生活を送れる状態にあるか、さらにいえば居住する外国人とのコミュニケーションのあり方など、すべてが「環境整備」という地域でのコンセンサスに集約される。この合意形成は、議論も大切だが、日々の顔が見える関係と共同作業によってしか育まれないのではないだろうか?
蛇足ながら、高島市長もいったん一市民に戻るのであれば、そうした現場に来賓でなく一度身を置かれてみてはいかがだろうか?市長の立場からは見えてこなかった景色がきっとあるはずだ。
(了)
【坂本晴一郎】









