感謝と縁で会社を存続させ、どこででも活躍できる人材を残す
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大祥建設(株) 代表取締役 平城 重則
自社ビル「大祥ビル」を諸岡に建設
1927年4月に建築土木請負業を個人創業し、47年3月に株式会社として設立した大祥建設(株)。現代表取締役の平城重則氏は、大学卒業後すぐに同社に入社し、以来、現在まで同社に尽くしてきた。3年前からは(株)SCホールディングス(HD)の傘下に入り、グループ会社として学習塾の店舗建設に手腕を発揮している。老舗の大祥建設と、まだ設立して3年を超えたところという若いSCHD。対照的な2社だが、平城社長は「SCHDの吉田知明社長と、山﨑寿志専務とは、一目見て気が合うと感じました。私も大祥建設に長年尽くし、これが最後の大転換だとの思いを込めて、一緒にやっていこうと決めました」と述べる。
SCHDはこれまで、同グループの(株)店舗開発マネジメントが既存ビルに店舗を短期間で設営するという戦略で店舗開拓を行ってきた。しかし、今後の株式上場計画に合わせて出店数を増やすため、大祥建設と店舗マネジメントの協同作業が必須となった。平城社長は現在、店舗開発マネジメントの代表取締役社長も担っている。
昨年秋には、福岡市博多区諸岡に4階建ての自社ビル「大祥ビル」を建てた。1階はエントランス、2階には個別指導塾スタンダードの諸岡教室、3階には店舗開発マネジメント、4階には大祥建設の事務所が入っている。
すでに佐賀市本庄で2階建ての新築ビルを建て、手堅い計画性とたしかな技術力を見込まれていた同社。今回もデザイン・設計・施工案から完成まで、すべて任せてもらった。人材を育てるまでが自分の役目
店舗開発マネジメントと同じビルに事務所を構えられたのは好都合だった。若手が多い店舗開発マネジメントの社員と、中堅社員が多い大祥建設とでは、世代で言えば親子ほどの開きがある。業態にも違いがある。平城社長にしてみれば、多くの若手育成を一気に引き受けたにも等しい。同じビルになったおかげで朝礼も2社合同で行い、若手職員の指導も行えるようになった。「世代の違いをつくづく感じる」と苦笑するが、言葉に反して楽しそうである。だが上場のことを考えると、急がなくてはならない。「リミットを決め、それまでに彼らを一人前に育てたい。1つの会社で独自の技術だけを習得し満足していては、いざ新しい展開をしたときに潰しが効きません。どんな状況でも通用する人材に育て上げる、それが私の役目だと思っています」と決意を示す。
SCHD幹部との年齢差も親子ほどある。しかし、「週の半分は本社に行くし、職員も少なくとも年に2回は全社合同会議などで互いに交流し合っています。5月からは月1回の役員会もあるので、さらに接点は増えるでしょう。会議の雰囲気は私の年代からすると驚くこともありますが、若いが浮ついていない。一見、無手勝流に見えるのに芯があるから、面白いですね。パワーをもらっていますよ」と、世代間の違いを超えた信頼関係をしっかりと築いている。
平城社長の信条は、「流れに逆らわないで自然体で波に乗ること」。『縁(えにし)』を大切にし、気概を前面に、24時間お客さま対応中を旗印に関わってきたすべての方々に感謝の『心』があれば、人生の裏も難所も笑顔で振り返ることができると言う。「大祥建設も、縁がなければ存続できませんでした。初代社長の吉村正さんへの恩義があるから、ここまでやってこられたし、2006年に弊社一大過渡期にSGKHD阿比留孝行代表、さらに2回目の節目にSCHDの吉田社長、山﨑専務との縁があったから、今、このように自社ビルを建て、大祥の名と扇の社印を福岡に残すことができたのです」。長く大祥建設に忠義を尽くしてきた平城社長だからこその、含蓄のある言葉だ。
<COMPANY INFORMATION>
大祥建設(株)
代 表:平城 重則
所在地:福岡市博多区諸岡1-6-1
設 立:1947年3月
資本金:3,000万円
TEL:092-584-1560
URL:http://www.taisyo-const.co.jp/<プロフィール>
平城 重則(ひらき しげのり)
1950年生まれ。近畿大学九州第二工学部建築科卒業後、大祥建設(株)に入社。2006年、同社代表取締役となる。(株)店舗開発マネジメントの代表も務める。関連キーワード
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