2024年12月23日( 月 )

重圧のなか支えてくれたすべての人に『技術』を用いて恩返し

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リョーユウ工業(株) 代表取締役社長 諸石 裕

歴史を次世代へ引き継ぐために

リョーユウ工業(株) 諸石 裕 代表取締役社長<

リョーユウ工業(株) 諸石 裕 代表取締役社長

 福岡県糟屋郡を拠点に、質の高い金属加工サービスを提供し続けるリョーユウ工業(株)。1972年6月27日、現代表取締役社長の諸石裕氏の祖父であり、同社の社名にもなっている山中量雄氏によって創業されて以来、実に40年以上の歴史を刻んできた。

 諸石社長はその歴史を引き継ぎ、顧客依頼に応えるだけでなく、提案型の営業を織り交ぜながらネームプレートから照明カバー、ショーケースに至るまで幅広い加工品を世に送り出している。現在の同社は地元市場の『デザイナー』とも呼べる役割も担っているのだ。

 諸石社長がここまでに至る道のりは、平坦なものではなかった。父の故・信義氏の後を27歳という若さで継ぐまでに、必要な技量を備えるべく同社工場への勤務を始め、顧客との交渉術、自社製品の強みや課題をみっちり学ぶべく営業経験も積んだ。必死で動き回った自身の当時を振り返り、諸石社長はこう語った。「プレッシャーしかなかった」。

 若き諸石社長は営業の最前線に会社の顔でもあった元専務の藤井公子氏とともに立ち、経営面でも先代の頃からサポートをしてくれていた藤井氏の親身なアドバイスも取り入れ、強固な体制を整えた。こうして豊富な経験・熟練の技を持つ従業員とともに、新しいスタートを切った諸石社長は、部材の切り曲げといった加工サービスだけでなく、完成品として一括受注するといった、新たな試みも実施。競合他社との差別化を進めた。

 祖父、父と受け継がれてきた同社の伝統。諸石代表が描く新しい金属加工サービスの在り方。諸石代表の人柄の良さと、同社の持つ確固たる技術力。四輪駆動とも呼べるこれらの要素が上手く噛み合っているからこそ、同社のつくり出す製品は地元に求められ、今もなお実績を上げ続けている。

技術継承が商機を生む

 そんな同社にも悩みはある。同社にとって財産であるその『技術』を、次の世代にどう継承していくかということだ。

 「最近は機械の進化が目覚しく、簡単に言えば『10㎜穴を開ける』と設定してスイッチを押せば、後は全部機械の方でやってくれるんです。ですので、最近の若い社員はそういった機械操作や関連知識の習得はすごく早いです。しかし、機械でカバーしきれない部分を加工できることにこそ弊社の強みがあります」。

 最近ではステンレス加工品の需要が減少傾向にあり、撤退するところも出てきている。当然、加工技術も途絶えていくことになる。だからこそステンレス加工にもきっちり対応できる同社は、その存在感を発揮する。しかしそれも、諸石社長が語るように加工用の設備充実を図ること以上に、加工技術をしっかり手にしているのかどうかの問題が大きいのだ。

 諸石社長は人材確保のため、完全週休二日制の導入等も視野に入れている。もちろん地元に『必要とされている』同社にはなかなか難しいことかもしれない。だからこそ、諸石社長は若き人材たちにこう語りかける。「休むのも必要ですが、『つくる楽しさ』も知ってほしいんです」。

 質の高い金属加工品を通して地元に貢献し続けている同社。諸石社長は、そんな同社の『メーカーとしての矜持』をこれからも福岡、そして九州に示し続けていく。

※記事内容は2015年8月31日時点のもの

<COMPANY INFORMATION>
リョーユウ工業(株)
代 表:諸石 裕
所在地:福岡県糟屋郡宇美町障子岳南5-3-5
設 立:1972年6月
資本金:1,000万円
TEL:092-933-6811
URL:http://www.ryo-u.com

<プロフィール>
moroisi_pr諸石 裕(もろいし ゆう)
1971年東京生まれ。父信義氏より事業を継承、1999年4月リョーユウ工業(株)代表取締役社長に就任。同社HP内『リョーユウ日記』では経営者としての顔の他、諸石裕氏一個人としての素顔も楽しめる。

 

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