2024年11月26日( 火 )

迷走する東京五輪の聖火台(1)

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 3月4日、東京オリンピックのメインスタジアムとして新たに建設される新国立競技場の建設案に聖火台の設置場所が決まっていないことが判明した。なぜ、そのような事態を招いたのか。新国立競技場をめぐる経緯について、大まかではあるが、時系列に追ってみることにしたい。

◆2006年3月8日
 東京都議会は2016年のオリンピック招致を決議。しかし09年10月2日、コペンハーゲンで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の総会に立候補するも、2回目の投票でリオデジャネイロ(ブラジル)、 マドリード(スペイン)に次ぐ3位となり、招致に失敗。

◆2011年4月10日
 石原慎太郎都知事は、「2020年に夏季五輪招致」を公約に掲げ4選を果たした。五輪招致を実現するため、メイン会場となる国立競技場を建替える準備が進められることになった。

◆2012年11月15日
 7月13日、国立競技場の所有者であるJSC(日本スポーツ振興センター)と有識者会議は、建替えのために「新国立競技場基本構想国際デザインコンクール」の実施を決定。11月に審査結果が発表され、イギリスのザハ・ハディド氏の作品が最優秀賞に選ばれたが、その時この作品が後にトラブルの発生源になるとは誰も予想しなかったのではないだろうか。

◆2012年12月16日
 石原氏は、国政復帰を宣言し任期途中で退任。副知事だった猪瀬直樹氏が立候補して当選。東京オリンピック招致は新都知事に引き継がれることになった。

◆2013年9月7日
 ブエノスアイレス(アルゼンチン)で行われた第125次IOC総会に、東京は2020年の第32回夏季オリンピックの開催予定地に立候補。3回目の決選投票で60票を集め、トルコのイスタンブール(36票)を破り、7年越しに悲願の招致が実現。

 今年1月12日、トルコ最大の都市イスタンブールで爆発事故が発生。その後首都のアンカラでも連続爆破事件が発生するなど、政情が不安定なトルコではなく、治安に心配のない東京開催に、IOCのトーマス・バッハ会長は胸をなでおろしているのではないだろうか。

 オリンピック競技大会は、甲子園で行われる夏の高校野球を考慮し、7月24日(金)~8月9日(日)までの17日間。パラリンピック競技大会は、8月25日(火)~9月6日(日)の13日間とする日程が決まった。プレゼンテーションで、滝川クリステルさんが「お・も・て・な・し」の心をアピールし、IOC委員に東京招致を訴えたことも、勝因の一つに挙げられている。

(つづく)
【北山 譲】

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