地元うきはの魅力を全国に発信
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(株)手島建築設計事務所 代表取締役会長 手島 博士
4畳半のアパートでのスタート
1971年2月、当時21歳だった手島博士氏は、福岡市内の4畳半アパートの部屋を借り、T字定規片手に1人で仕事を始めた。これが現在の(株)手島建築設計事務所の創業にあたる。手島氏はすでに福岡市内の設計会社に就職が決まっていたものの、先輩からの「どうせやるのならば設計事務所をゼロから立ち上げてみたらいい」というアドバイスを受け、独立したのだ。
すでにある数多くの名門設計事務所に対抗するため、どのような小さな仕事でもコツコツと手がけ、経験を重ねた。民間の建築設計、官公庁関係の建築設計まで数多くの実績を誇り、福岡に自社ビルを建設するなど事業は順調だった。
しかし、手島氏は30代半ばで大病を患った。今までの生活に満足していたはずだったが、死を身近に感じたときに、人生観が一変した。「悔いの残らない人生にするために何事にもチャレンジしよう」と一念発起。福岡で築いた実績をもとに、86年7月に東京支社を設置し、東京進出を果たす。東京でも仕事の大小に関係なく、難しい案件も積極的にこなし実績を重ね、基盤を確立させた。95年7月には大阪支店も設置。現在、手島氏は代表取締役会長を務め、東京、大阪、福岡を中心に全国を股に掛け精力的に活動している。
デュアルライフ推進大使に任命
積極的な活動を続けている手島氏だが、彼を支えるエネルギー源の1つに、故郷の力がある。
手島氏は、2008年より故郷のうきは市に別荘としてログハウスを保有。約7年間、平日は都市部を飛び回り、休日はログハウスで過ごしている。ログハウスでは、簡易な農業も実施し、野菜を育てている。うきはの魅力について手島氏は「空気が綺麗で美味しく、また星も綺麗なこと。山の上などは星が非常に綺麗なので、とくに都市部に住んでいる子どもたちは感動してくれます。また、水はすべて井戸水。自然そのもので美味しいですね」と語る。このうきはでの生活がリフレッシュにつながり、ビジネスへの活力になっているのだという。
14年12月、福岡県うきは市は「デュアルライフ推進大使 任命制度」をスタート。第一号の推進大使として、手島氏が任命された。デュアルライフとは、平日は都市部、休日は農山漁村というように、双方を行き交うライフスタイルのこと。まさに手島氏が7年間過ごしてきたライフスタイルそのものである。「デュアルライフ推進大使として、この生活をしながら、うきはの魅力を発信していきたい。私自身は東京にいることも多い。都市部でうきはの宣伝を行い、地方に対する要望などを聞き、うきはにフィードバックする。自分たちだけでは気づかないことが、外から見ればすぐわかることもある。それを伝えていきたい」と話す。
「うきははとても良いところ。週末だけでもいいので、まず、うきはに興味を持ってほしい。普段は都心部で生活していても、週末になればうきはに帰って来るという生活をしてもらえれば地元も潤う」と話す。手島氏の長年の経験から、設計、まちづくりの観点からも市に対し貢献したいと意気込む。
自身のライフスタイルを通じ、うきはの魅力の発信、また、より一層うきはの魅力を高めていくために必要な橋渡し役に、注力していきたい考えだ。
<COMPANY INFORMATION>
(株)手島建築設計事務所
代 表:手島 博士
所在地:東京都港区芝1-13-16
福岡本社:福岡市中央区清川3-21-9
設 立:1976年9月
資本金:1,000万円
TEL:03-3457-6761
URL:http://www.teshima-at.co.jp/<プロフィール>
手島 博士(てしま ひろし)
1949年3月生まれ、福岡県出身。県立浮羽工業高校を卒業後、71年に手島建築設計事務所を創業。現在は、代表取締役会長を務める。趣味はゴルフ。2014年12月、うきは市より「デュアルライフ推進大使」に任命された。関連キーワード
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