2024年11月27日( 水 )

韓国大統領選挙の結果(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

日韓ビジネスコンサルタント 劉明鎬(在日経歴20年)

 文在寅(ムン・ジェイン)氏は1953年1月、韓国の南部にある「巨済(ゴジェ)」で生まれた。文在寅氏の両親はもともと北朝鮮出身であったが、朝鮮戦争が勃発し、難を逃れて巨済に定着するようになった避難民であった。その当時は戦争中だったこともあり、韓国経済は困難を極めていたし皆が貧しかったが、北朝鮮から難を逃れてきた文氏の家庭も、とても貧しかったようだ。そのような貧しい生活のなかでも、文氏は頭が良かったのか、名門である慶南中学と慶南高校を入学することになる。
 高校を卒業後、1972年に慶喜大学法学部に入学する。しかし、当時の朴正照(パク・チョンヒ)大統領の維新政策に反対する学生運動を主導した疑いで逮捕され、大学から追い出されることになる。そこで学校を追い出された文氏は、軍に入隊する道を選択する。それも訓練が一番厳しいことで定評のある特別戦闘司令部に入隊する。
 軍の服務を終え、文氏は大学に復学しようとするが、うまくいかなかった。仕方なく、文氏は大学に戻る代わりに司法試験にチャレンジし、合格する。司法研修院を次席という優秀な成績で修了することになるが、大学時代の学生運動の前歴が問題とされ、判事に任命されず、人権弁護士の道を歩むことになる。

 文氏が人権弁護士になって遭遇したのは盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領である。文氏は盧武鉉元大統領より7つ年下であったが、2人は互いに尊敬し、信頼する親友でもあった。文氏は盧武鉉氏が大統領になったら、その最側近になる。
 文氏は盧武鉉元大統領に誘われて、民政主席として大統領府に入り、政治の世界に足を踏み入れる。その後、盧武鉉元大統領の秘書室長になったことはよく知られている。

 盧武鉉元大統領が亡くなった後、親盧勢力が結集するなかで、文氏がリーダとして浮上する。その結果、前回の大統領選挙にも出馬することになったのだ。そのとき文氏は大統領選に敗れたが、その失敗に挫折せず、今回また大統領にチャレンジした。
 その再チャレンジは見事に成功し、文氏は9年ぶりに大統領府に復帰することになった。しかも今回の復帰は、大統領としてだ。

 日本では、文在寅大統領の当選で警戒感を高めている。だが、日本で報道されているニュースの論調は、少し間違っていると思っている。
 日本では、文在寅大統領を「親北」と決め付けて警戒しているが、それは少し違う。現代は、イデオロギーよりも経済の時代である。筆者も経験しているが、私が若いときには韓国は貧しかった。しかし、韓国の経済力は北朝鮮の30倍以上で、現在では北朝鮮に憧れるような人はあまり存在しない。北朝鮮問題を解決する方法論の違いはあっても、北朝鮮に同調する人はほとんどいない。昔の政治家が北朝鮮の脅威を利用しているだけで、北朝鮮に同調する勢力など存在しない。

 なお、盧武鉉元大統領も文在寅大統領も人権弁護士出身で、庶民のことをよく理解しており人間味もあるタイプで、権威よりも国民寄りの大統領になれるだろう。
 文在寅大統領は大統領府でも、原則主義者として知られている。米国のトランプ大統領も日本の安部総理も、自国の利益を最優先する政策を進めている。そのような意味では、今回の文在寅大統領も、韓国の利益を最優先する大統領になるかもしれない。しかし、外部で心配されているような、北朝鮮と同調して北朝鮮に有利な政策を進めるような大統領ではない。大変な時期に大統領になったので、険しい道のりになることは間違いないが、とんでもない方向に向かうような人物ではない。

 最後に、文在寅大統領の今後の課題は何だろうか。

 今回の選挙は、文在寅候補の圧勝が予想されていた。そのようなこともあって、文候補のキャンプには、大学教授が1,000人もいるという噂が流れていた。とにかく多くの人材が文候補のキャンプに集まったようだ。そのため大統領に当選し、人事の面でのトラブルが起こるではないかと懸念されている。組織の内部にも葛藤が生じさせたら、政権運営にどのような影響を与えるかは火を見るより明らかだ。

 もう1つはTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備などの外交問題をはじめ、経済の建て直し、青年の失業問題など、課題は山積みである。日本とは、慰安婦合意の実行を求められている。前政権とは違い、できることは努力しながら、できないことは相手に納得させる努力を弛まない必要があるだろう。

(了)

 
(前)

関連キーワード

関連記事