故高塚猛氏の葬儀、しめやかに
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土地柄で違う葬儀の段取りに途惑う
福岡ドーム3点事業を短期間でものの見事に再建させた高塚猛氏が8月27日に70歳で逝去されたことは、Net-IB Newsでも既報のとおりである。長期にわたって糖尿病を患い、5年前に脳梗塞を起こしてベッド生活を送っていた故人は、関係者の話によれば最期まで意識は鮮明であったそうである。
岩手県盛岡市と福岡市では、葬儀のスタイルが違う。盛岡ではまず前日、通夜を行う。通夜は北山浄光会館で営まれた。ここまでは同じ。そして翌日、まず火葬を先に済ませ、それから葬儀となる。ここの順序が福岡とは違うところだ。故高塚氏の場合も、8月30日の夜、葬儀場で通夜を迎えた。参加者は200名を超えていた。そして翌日31日の午前10時30分に火葬場へ送られる。遺骨を納めて午後1時から報恩寺で葬儀が行われた。
盛岡ではお寺の庫裏で葬儀が行われる。会葬者用に椅子は200席用意されている。参会者はおよそ180名前後。畳の上に身内が座り、5名の高名な僧たちが読経を始めた。張りのある声が庫裏内に響き、緊迫感を与える。椅子に座った参列者たちの手許には焼香が廻され、それを手にして数珠をかざし、念仏を唱える。この葬儀様式だと、最期に故人と対面できないのが、慣れない身としては不満が募る。各地区での葬儀スタイルにケチをつけるつもりは毛頭ないが……。
鈴子夫人の謝辞に涙を流す
故高塚猛氏が公職から外れて13年になる。普通ならば過去の人、忘却された人になっていてもおかしくない。しかし、偉大な功績を成した故人を、かなりの方々が今もなお尊敬し、敬服していることを思い知らされた。数えてみると供花は170本。福岡の企業名も見かけられた。当時の福岡ダイエーホークスの選手の名前もあり、故人との関係が良好だったことがうかがえる。当然のことだが、盛岡地元の企業からは数多くの花輪があった。地元ではまだ過去の人でないことを証明していた。
最後に鈴子夫人の謝辞があった。以前、夫人の故人への看護ぶりを目撃しつつ「よくまーあれだけ献身的に尽くすことができるものだ」と感服していた。現役時代の高塚氏の仕事のハードさは100人分である。「鈴子夫人と向き合う時間は皆無ではないか?」と老婆心ながら心配したこともあった。
鈴子夫人は「高塚が70歳で逝去したことは若いと惜しんでくれる方々もあります。しかし、現役を離れて13年間は夫婦楽しく過ごすことができました。特に病気で倒れた5年間は、高塚と一心同体で過ごすことができたのは最高の幸せです」と謝辞を語られた。淡々とした言葉からあふれる率直な気持ちの表明には、参列者から感動のすすり泣きが漏れていた。故人があれだけの活動をできたのも、この鈴子夫人の気丈さによるものであろう。
合掌
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