丸源の栄枯盛衰~不動産王の軌跡(1)
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東京や福岡の繁華街に「丸源」の名称で飲食ビルを展開している丸源(株)(本社:東京都中央区、川本源司郎代表)は、北九州市内に所有する全17棟のビルを売却した。ビルの中には老朽化が進んでいるものも多く、2014年には複数のビルに防火設備の不備があるとして、会社と経営者の川本源司郎氏が消防法違反容疑で刑事告発されている。創業の地北九州から消えていく丸源マークに、同社の栄枯盛衰を見た。
呉服屋からビル賃貸業者へ
丸源の創業者、川本源次郎氏。「銀座の不動産王」の異名をとり、相応の知名度を誇った同氏だが、そのルーツは福岡県北九州市小倉にある。
川本氏は1932年福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。実家は呉服屋で、その屋号が「丸源」だった。北九州市小倉南区にある常磐高等学校を卒業後、川本氏は慶應義塾大学に聴講生として入学。1年後に正式に編入予定だったが、家業を継ぐために父親から呼び戻された。しかし、川本氏は呉服屋をたたみ、飲食ビル賃貸業を始めることになる。
銀座の不動産王の誕生
60年、飲食ビルの賃貸業者に転じた川本氏。飲食店に家具付きで貸し出すという、他業者との差別化が奏功し、事業規模は順調に拡大していく。丸の中に源の文字が赤く灯るシンボルマークは、地元北九州にとどまらず福岡・中洲でも見られるようになり、72年には東京への進出も果たしたている。
74年、川本氏は当時まだ飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに10階建てのビルを建てると、80年までに銀座に8棟のビルを所有。バブル期には銀座、赤坂、六本木、福岡・中洲などに60棟以上のビルを有し、約5,900に及ぶテナントから家賃収入を得ていた。飲食ビルの提供を通じて歓楽街を制覇した川本氏は、名実ともに『銀座の不動産王』としてその名を轟かせていった。バブル崩壊後、あまたの同業者が表舞台から姿を消していくなか、川本氏だけは生き残った。川本氏はその理由を米経済誌「フォーブス」(99年9月号)で「金融機関の誘いに乗って採算の合わない割高な土地に手を出さなかったこと」と話している。
自らの判断・決断を信じ、手堅い商売に徹し切った川本氏は、『不動産王』としてその地位を確立していった。(つづく)
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