積水ハウス、恒例のお家騒動 クーデターが勃発(後)
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CEO制を導入し、積水ハウスのドンとして君臨
奥井社長は退任の時期を迎える。後継候補は和田勇氏と杉村和俊氏の両専務の争いになった。和田氏には、悪い話が多かった。中部営業本部長時代から続く、仲介業者2社との不適切な関係を指摘する告発もあった。
〈奥井も確証を取るため、中部名古屋での噂の真偽を本社幹部に調査させたが、和田体制になることが濃厚な時期なのに、自分の将来を賭けてまで正確に調査するわけもなく、噂は噂に過ぎないと奥井に報告された。(中略)中部では和田批判は法度、和田のいうことはすべてだという風潮があり、反対意見をいえば左遷された。中部の和田天皇とも言われていた。〉
親会社の積水化学は、杉村専務に期待していた。奥井社長と大橋会長が壮絶バトルを繰り広げたとき、杉村氏は大橋会長と親しかったため、奧井社長は迷っていた。
そうこうするうちに、1997年11月、日本経済新聞に「来年5月、和田社長へ」と人事がリークされた。
〈この新聞辞令で、一気に和田社長という、既成事実がつくり上げられた〉。誰がリークしたか、内部の人間なら誰でもわかる。和田氏は1998年5月、4代目社長に就任した。初の生え抜き社長だ。
〈奥井は「和田にはいろいろあるけど、わしが目の黒いうちは絶対変な事をさせない」と言っていたと噂では聞いている。奥井のこの思い上がりが、間違いであったことを思い知ることとなる。〉
程なく和田氏対奥井氏の暗闘が始まり、お決まりの怪文書が出回り、和田氏が勝利した。奧井氏を追い落とした和田氏は独裁体制を築いた。
それから10年。社長退任の時がやってきた。どうやって権力を維持するか。2008年、阿部俊則氏を5代目社長に抜擢した。阿部氏は、13人いる取締役のうち最年少である。寝首をかかれる心配は小さいと判断したのだろう。阿部氏は東北学院大学文学部を卒業し1975年の入社。仙台支店の営業マンとして、全国で1位、2位を争うトップセールスマンだった。営業畑を歩き、出世した点は和田氏と似ている。
この時、積水ハウスはCEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)制を導入。和田氏が会長兼CEOに就き、トップの座に座り続けた。阿部氏もいつまでもナンバー2に甘んじるつもりはない。クーデターに決起し、和田氏の追い落としに成功した阿部氏は、積水ハウスの新しいドンになる。因果はめぐる。権力の座から引きずり下ろされた和田氏だが、泣き寝入りするような人物ではない。阿部氏に復讐するために、どんな爆弾を仕掛けるのか。興味津々である。
(了)
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