震災復興が結んだ日本とネパールの新たな絆!(2)
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映画監督・東京情報大学総合情報学部教授 伊藤 敏朗 氏
満を持し、8月の夏休みにネパール行きを決意
――監督は日本での支援活動が軌道に乗ったのを見て、ネパール行きを決断されていますね。
伊藤 地震発生後、しばらくは、ネパールのことはガネス・マン・ラマ氏に任せ、私は前2作のチャリティ上映会を日本全国で展開しておりました。とくに、第1作の『カタプタリ~風の村の伝説~』はDVDをフリーで全国に提供しました。入場料は無料ですが、上映時にはカンパを行い、赤十字やハテマロ会などの支援団体に寄付いただきました。
私が講師や解説で向かった先は、むしろ少なく、後日ご報告をいただくことが多いのですが、上映は私の知らないところで、ドンドン進んでいきました。しかし、日本での支援活動が軌道に乗った時点で、満を持して8月の夏休みにはネパールに行くことになります。ラマ氏がJDRを助け、八面六臂の活躍をした
――ネパールに行くことになりますが、この時点では映画の再開は考えていませんね。では、撮影再開のスイッチが入ったのはどの時点ですか。
伊藤 それは今でもはっきり覚えています。スイッチは2段階に分けて入りました。8月に現地入りし、まずは無事の確認ができていたラマ氏以外の映画関係者や友人・知人の消息を訪ねました。家屋が崩壊した人は複数いましたが、幸いなことに皆無事でした。
もっと驚いたのは、今までまったく知らなかったのですが、ラマ氏が日本の国際緊急援助隊(JDR)の足となる車両手配や支援物資の分配、住民との交渉など八面六臂の活躍をしていたことです。後に、彼はその功績で民間人では唯一、日本隊から感謝メダルを授与されています。よく考えれば当然のことで、彼は、日本への留学経験もあり、日本語を流暢に話し、映画と離れても、日本人が最も頼りにできるネパール人だったからです。ここで、1段階目のスイッチが入りました。いいのよ。あなたの映画の中に永遠に残るから
ネパールには、お見舞いが目的で飛んだわけですが、映画人の性で、後世のためにこの震災映像を撮っておきたいと思い、カメラも担いで行きました。そしてラマ氏と一緒に瓦礫の中を歩き続けました。
最初に向かったのは、第1作『カタプタリ~風の村の伝説~』の舞台となった風の村でした。その村では、幸いなことに死人は出ていませんでしたが、ロケ当時の面影はまったくなくなっていました。ネパールやインド北部は元来地震が多い地域であるにもかかわらず、建物はレンガ積みの耐震性のない脆弱な構造のものが多く、また山岳地帯では地滑りも発生しやすく被害が大きくなりやすいのです。私の大好きだった、ラマ氏が映画のなかで少年時代を過ごしたという設定の家も崩壊していました。そこに、ロケ時にお世話になった、持ち主のおばあさんが居たので、持ち合わせていたわずかばかりの見舞金を差し上げ、「こんなきれいな家が崩壊してしまって本当に悲しい」と伝えました。すると、「いいのよ。家は潰れてしまったけれど、あなたの映画の中に残っているから、そこに永遠に残るから」とにこにこして返してきたのです。
この時、自分の身体の中に、これまでに経験したことのない衝撃が走りました。これが2段階目のスイッチ、すなわち撮影再開のスイッチが入った瞬間です。私はいわゆる映画小僧で、小さい頃から映画が大好きでした。高校時代には8mmを担ぎ、大学時代には、学内の映画サークルでは飽き足らず、学外組織で活動、若手映画人としてテレビにも出演しました。
しかし、最近の日本映画を見ていると「なんとなく暗い」。子どもの頃、脳天気にダイレクトに感じた純粋な「面白さ、楽しさ」がないと感じていました。しかも、日本では、いわゆる偏差値の高い学生ほど、暗い映画を好む傾向にあります。これは分析すれば、先進国の成熟社会によく見られる現象です。しかし、ネパール映画を研究したことで、日本の30年代、40年代にあったような「素朴で、明るく、健康的な熱気」を再び甦らしたいと思うようになりました。
本当に、震災復興をテーマに扱った映画でそれが可能なのだろうかと思いましたが、そのうちネパール映画ではそれが可能、しかも歓迎されるということがだんだんわかってきました。芸術とマネジメント両面のバランスをうまくとる
――とても深い話ですね。ところで監督にとって映画とはどのような存在なのですか。
伊藤 映画は自己表現(自己存在)をたしかめることができる、とても芸術的な表現活動です。同じように、人間が頭のなかで想像する活動に、小説・絵画・彫刻などがあります。しかし、多くは個人的な才能に基づく純粋な芸術活動です。映画はそこが違います。
多くの仲間がいないと、1人では製作できません。私はそこにすごく魅力を感じています。いつ、どこに、なにを、どれだけ、誰が用意するのかなど、マネジメントの能力が必要です。撮影はかなり大がかりになるので、プロデューサー的能力も必要です。それには、純粋に「芸術的な活動」と「マネジメント」の両方をうまくバランスをとることができなくてはいけません。
私は学生に、そのうまくバランスをとれた時の喜び、感動を伝えるようにしています。そのことは、実社会に出て、芸術的にも、人間的にも、成長していくために欠かすことができないことだからです。(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
伊藤 敏朗(いとう・としあき)
1957年大分市生まれ。現・東京情報大学総合情報学部教授(18年4月より、目白大学メディア学部特任教授に就任予定)日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了・博士(芸術学)ネパール映画監督協会に所属する唯一の外国人監督で、ネパール映画の第1人者。
『カタプタリ~風の村の伝説~』(中編劇映画、2007年)でネパール政府国家映画賞を受賞。ネパール文学最高峰の文芸大作『シリスコフル(邦題「カトマンズに散る花」)』(2013年)で、ネパールデジタル映画祭批評家賞、ネパール政府国家映画撮影賞を受賞。著書は『ネパール映画の全貌‐その歴史と分析』(2011年、凱風社)など。関連記事
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