福博の文化・芸能の発信拠点として「九州観光の最大の目玉」を目指す(前)
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(株) 博多座
芸どころ博多のルーツ、全国初の公設民営劇場
歌舞伎、ミュージカル、演劇など、あらゆる舞台芸術の公演が行われ、公演期間中、県内外の多くのファンで賑わう「博多座」。1999年、福岡市が本格的な歌舞伎演劇などの常設劇場の『復活』を願う声に後押しを受けるかたちで開設した。
現代まで続く「芸どころ博多」。江戸後期の1834(天保5)年に、現在の中洲中島町(博多区)で歌舞伎役者の7代目・市川團十郎による興行を行ったことを記した石碑があることから、福博の文化・芸能の発祥は歌舞伎であるといえる。明治に入り、中洲(博多区)に常設の芝居小屋「永楽社」がつくられ、日本近代演劇の祖・川上音二郎の登場によって芝居人気は一気に盛り上がりを見せる。
「旧・博多座」は、1910(明治43)年、東公園に西洋風の演劇場として開設された。そのこけら落しを務めたのが川上一座である。川上音二郎は翌年に亡くなっており、最後の舞台でもあった。その後も芝居人気は続き、1000席以上の大規模劇場が次々に開設された。現在の博多座の周辺は、まさに一大エンターテインメントのまちであった。
しかし、大正時代に入ると、活動写真(映画)が普及するようになり、状況は一変。多くの演劇場が映画館へと転向し、芝居小屋は姿を消していった。「旧・博多座」は、戦後、戦地からの引揚者の住宅として使われたのち、63年に閉鎖。博多の歌舞伎の最後の殿堂となった「大博劇場」が72年に閉館してから20年以上、福博には本格的な劇場はなかった。
そして89年、興行界と地元財界、当時の桑原敬一市長が合意し、福岡市が新劇場の計画構想に取り組むことになった。99年6月、現在の博多座が開設。福岡市が土地・建物を312億円で取得。運営を行うのは、九州経済界と東京の演劇興行会社および福岡市の協同出資によって設立された(株)博多座。全国初の公設民営の劇場である。
実績把握と自主制作作品で業績改善に成功
地元の声に応えるかたちで誕生した博多座だが、世界的な経済不況のあおりを受けて経営難に陥ってしまう。リーマン・ショックなどの影響で、2007年度から11年度にかけて累計で15・2億円の損失を出した。
7年ぶりの民間人経営者として10年6月、4代目社長に就任した芦塚日出美氏(現・相談役)のもと、福博の文化・芸能の発信拠点である博多座を守るための経営改革が始まった。創業以来の興行成績などを基に毎月、興行収入を含めた予算計画を作成。演目は、多様なニーズに対応しつつ、集客力と収益性が期待できるものを選び、演目ごとに興行原価と販売管理費を抑制し、収益性の確保を図った。また、集客力と収益性が期待できる演目については興行日数を調整。収支予算を立て、年間で黒字化を目指した。
なかでも効果が大きかったのは、自主制作を行う演劇興行供給会社への転身だ。12年3月に博多座初の自主制作演劇「時代劇版 101回目のプロポーズ」(出演:武田鉄矢、浅野温子ほか)を公演するとともに、12年9月の「北島三郎特別公演」は共同制作とし、魅力ある作品づくりに取り組むとともに興行原価の抑制にも努めた。
さらに、13年3月に公演された、長崎を舞台にした「水戸黄門」(出演:里見浩太朗、原田龍二ほか)、14年4月公演の山本周五郎原作「鷹と雀のものがたり」(出演:前川清、武田鉄矢ほか)など、ほかの劇場で公演される作品も生まれた。また、全国に発信することで社全体のモチベーションも上がった。経営改革は功を奏し、12年度からは5年連続で黒字化を達成。累計で5・4億円の最終利益を計上した。
(つづく)
<COMPANY INFORMATION>
代 表:相良 直文
所在地:福岡市博多区下川端町2-1
設 立:1996年7月
資本金:11億2,500万円
TEL:092-263-5858
URL:http://www.hakataza.co.jp<プロフィール>
相良 直文(さがら・なおふみ)
福岡県出身。1965年、RKB毎日放送入社。テレビ営業局営業部長、事業推進局長を歴任し、2007年から13年まで副社長を務めた。17年6月、(株)博多座の5代目社長に就任。関連記事
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