【追悼】飯山一郎氏死去~汚泥処理装置「グルンバ・エンジン」開発
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NetIB-Newsにもたびたび登場した日本グルンバ総合研究所代表の飯山一郎氏が7月20日に死去していたことがわかった。享年72歳。
グルンバ・エンジンを開発
先日、飯山氏と懇意の地元企業代表から「飯山氏が亡くなった」という連絡があった。その2週間ほど前に、飯山氏のブログや、同氏が運営するポータルサイトにアクセスし、変わらず精力的に活動をしていることを確認し、近々取材に伺おうかと計画していた矢先のことだった。
飯山氏は、稀代の発明家であり経営者、文筆家、そして広い国家観をもった評論家でもあった。1990年には「グルンバ・エンジン」という乳酸菌を培養することで汚泥・悪臭を除去する装置を開発した。同装置を用い、日本だけでなく、台湾、中国、韓国などの荒廃した農地を改良し、肥えた農地を蘇らせるなど、国内外で数多くの実績を残した。
飯山氏は栃木県出身だが、“焼酎を通じた厚い縁”により約10年前に鹿児島県志布志市に移住した。地元住民と積極的に交流し、自身が開発した乳酸菌関連商品とともに、地産地消の健康志向の商品を開発・販売し、全国および海外の多くのファンから支持された。また飯山氏の理念に賛同し、活動をともにする同志や弟子は志布志、そして全国各地に存在している。国・地域そして国民のために
多数の支持者がいる飯山氏だが一方で、アンチ飯山氏も少なからずいて、根拠のない誹謗中傷を受けていた。それでも飯山氏は意に介すことなく、活動を続けた。とくに、乳酸菌の培養については、一部から「インチキだ」「効果・効用などない。逆に体調不良に陥った」などの激しい反論や中傷があったが、学術的に、また具体的な実績のうえで、正々堂々、それらの中傷・批判に対して戦い続けた。
今日もなお、グルンバ・エンジンによる乳酸菌培養を求める人々が数多く存在することこそが、飯山氏が支持されているなによりの証だろう。
飯山氏に初めてお会いしたのは3年前。飯山氏との会話を通じ、自身の利益のためではなく、国・地域そして国民の幸せのために英智を最大限にいかしたアイデア・企画をして、自ら先頭に立って汗水を流して、モノ・コトづくりを実践してきたことがわかった。
終生、国を愛し、人を愛しながら、研究と開発の日々を送った飯山氏。新たなサプライズを楽しみにしていたが、もう実現されることはない。これからは、飯山氏の同志や弟子たちが飯山氏の遺志を引き継いで、研究と開発に励み、これまで以上に“飯山ブランド”のモノ・コトを世の中に広めていってほしい。それこそが飯山氏への一番の供養になるのではないか。
飯山氏の満面の笑顔と軽妙ながら含蓄のあるお話がもう聞けないと思うと本当に残念だ。合掌
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