2024年12月23日( 月 )

「鉄道は国家なり」~国土を支える基幹インフラの過去・現在・未来(1)

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JR九州 初代社長 石井 幸孝 氏

 鉄道の登場が当時の物流や産業にどれほどのインパクトを与えたのか、現代の我々にはとても想像できない。携帯電話、インターネット、AIなど「時代を変える」技術を日々目にしているが、鉄道もまた世界を変えた技術だったのだ。鉄道が、九州と日本の現在と未来にどのような影響を与えるのか。国鉄分割民営化で誕生したJR九州を上場会社にまで育て上げた石井幸孝氏が説き起こす。

物流と情報を制する~「道は国家なり」

▲千年の時を超えて今も残るローマ街道

 「道は国家なり」という言葉があります。もともとはフランス国王・ルイ14世が発したとされる「朕は国家なり」という言葉ですが、前半部分を変えることでさまざまに応用されてきました。「道は国家なり」を体現したことで知られるのが、ローマ帝国です。ローマ街道は主要街道だけで総延長約8万kmにおよび、北はブリタニア(現・イギリス)、西はイベリア(スペイン・ポルトガル)、南は北アフリカ、東は黒海沿岸からアルメニアにまで達しました。また東洋では、歴代の中華王朝も道路の建設に熱心で、律令時代の日本も「古代官道」と呼ばれる総延長約6,300kmの道路をつくりました。福岡には、博多湾・鴻臚館から太宰府に至る外国使節向けの官道、本州方面から太宰府に向かう官道の痕跡が残されています。

 それぞれの古代道路には異なる点もありますが、舗装や路面整備によって高速に移動できる、およそ17km(世界共通。馬が1時間フルスピードで走れる距離)ごとに「スタチオン」「駅」と呼ばれる馬を交換し、人を休ませて補給を行う中継地点を置いている、などの共通点も多くあります。現代の鉄道駅が「ステーション」「駅」と呼ばれるのは、この時代の呼び名を引き継いでいるからです。「駅」という漢字に「馬偏」がつくのも納得でしょう。

 なぜ、古代国家にとって「道は国家なり」だったのでしょうか。それは当時、整備された道路は人やモノだけでなく、情報や税金、軍事力までも運搬する、交通・運輸・行政などを統合した「総合インフラ」であり、国家の大動脈だったからです。ローマ帝国が領土を拡張する際に、まず街道の敷設から始めたのにはこういう意味がありました。

近代技術が「道」を変えた~産業革命が生んだ「鉄道」の威力

 そして近代になると、「道は国家なり」は次のフェーズへと移行します。19世紀のイギリスで生まれた発明がもたらしたのは、「鉄道は国家なり」という時代でした。専用の金属製レールの上を金属製の車輪で走る鉄道は、摩擦の少なさから従来の馬車などよりも圧倒的に高速で多くの貨物を運ぶことができ、さらにこの時代に登場した蒸気機関車は革命的な変化をもたらします。

 1825年にイギリスで生まれた蒸気機関車による鉄道は、27年にアメリカ、32年にフランス、35年にはドイツでも開業し、当時の文明国では一斉に蒸気鉄道ブームが花開いていきます。各国は競って鉄道を敷設し、植民地にも次々と鉄道敷設を進めます。1850年ごろにはヨーロッパ全土で総延長約4万kmの鉄道が開通しました。また、普仏戦争や南北戦争など19世紀に行われた戦争の多くでは、鉄道が軍隊や補給物資の輸送について大きな役割をはたしました。そして、鉄道を利用した高速・大量輸送は、産業革命以来進んでいた工業化と資本主義化を決定的に推し進めることになりました。

 やや本題からはずれますが、明治以前の日本も「溝を切った道路を、同じ幅の車輪を備えた車両が走る」という鉄道に近い工夫を行っています。江戸時代、滋賀県の大津から京都への道筋は、琵琶湖の水運を経て集積されたさまざまな物資が運ばれる主要な物流経路でした。しかし逢坂山などの峠が多く、牛車の通行に困難があったため、ある学者が巨額の私費を投じて、その道筋に「車石」を設置しました。車石とは花崗岩を削って凹状に加工したもので、これを地面に埋め、いわば「牛車専用レール」を敷いたのです。この「車石レール」は単線だったので、午前中は京都行き、午後は大津行きという振り分けが行われていたそうです。

(つづく)
【聞き手・文・構成:深水 央】

<プロフィール>
石井 幸孝 (いしい・よしたか)

1932年10月広島県呉市生まれ。55年3月、東京大学工学部機械工学科を卒業後、同年4月、国鉄に入社。蒸気機関車の補修などを担当し、59年からはディーゼル車両担当技師を務めた。85年、常務理事・首都圏本部長に就任し、国鉄分割・民営化に携わる。86年、九州総局長を経て、翌87年に発足した九州旅客鉄道(株)(JR九州)の初代代表取締役社長に就任。多角経営に取り組み、民間企業JR九州を軌道に乗せた。2002年に同社会長を退任。

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