2024年11月29日( 金 )

ソウルの主要商圏に異変(前)

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日韓ビジネスコンサルタント 劉明鎬(在日経歴20年)

 筆者はソウル一の繁華街の明洞(ミョンドン)近くで生まれ育った。小学校は日本人貴族の子弟が通っていたといわれる学校で、ストーブもろくにない時代、私の小学校にはラジエーターがあったことを今でも記憶している。もう1つ記憶に鮮明に残っているのは、その当時、大通りに路面電車が走っており、料金が1ウォンだったことだ。

 その後、ソウルは発展を続け、今では人口約1,000万人で世界的都市の1つに数えられるようになった。現在のソウルは、漢江(ハンガン)を境に、江北(カンブッ)と江南(カンナン)に分けられる。筆者の小・中学生時代は、主に江北で生活をした。高校は江南の高校に入学し、学生生活を送った。 

 江北は旧市街地で、江南は1970年代以降、開発が進んだ新しい街である。現在、江南には高層マンション、高級レストラン、ファッションショップなどが密集しており、ソウル市民にとって住んでみたい憧れの地域でもある。ところが、朝鮮時代の昔のソウルは現在より規模が小さく、清渓川(チョンゲチョン)を境に、北の地域を北村(ブッチョン)、南の地域を南村(ナムチョン)と呼んでいた時代がある。

 北村には、宮廷に勤める役人や、当時の上流階級である両班(ヤンバン)、それに商人が多く住んでいた。一方、南村には主に庶民が住んでいたようだ。日本と違い、1960年代のソウルは繁華街といえば、明洞だけだったが、今では多くの人で賑わう繁華街がソウル内にたくさんある。

 ソウルの代表的な繁華街というと明洞だ。明洞はソウルのど真ん中にあり、ショッピング、エステ、グルメ、ストリードフードなど、さまざまなことが楽しめる。明洞は、2000年代に入り、日本、中国などから観光客がたくさん集まるようになった。化粧品ショップとファッションショップが軒を連ね、香港のショッピング街をほうふつとさせるまでに成長した。

 明洞の次に繁華街を挙げるとすれば、多くの若者で賑わう江南駅付近と貿易センター、現代デパート近辺にあるテヘラン路だろう。とくに2008年にサムスンタウンが江南駅近くに立地するようになって、江南駅付近には明洞と1,2を争うほどの商圏が形成された。そのほかにも、新村・梨大(シンチョン・イデ)付近は、韓国の名門大学が集まるソウル最大の学生街で、留学生なども多く、大きな商圏を形成していた。さらに、仁寺洞(インサドン)は数百年の歴史をもつ街で、伝統工芸品を扱うお店や伝統アートのギャラリー、伝統茶のカフェなどを始め、韓国の定食が楽しめる伝統文化の街だ。ファッションでは狎鴎亭(アックジョン)などが有名である。

 しかし、そのソウルに変化が起きている。数十年前にできた新しい商圏のカロスキルは、2007年以降、発展を続け、隣接したファッション商圏である狎鴎亭を凌駕するようになった。カロスキルに顧客を奪われた狎鴎亭は今では整形外科が密集するプチ整形のメッカへと変貌を遂げ、数百の美容成形外科が集まって、激しい競争が繰り広げられている。

(つづく)

(後)

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