先代社長から経営哲学を継承、兄弟で歩む事業発展の誓い(後)
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高千穂(株)
途切れることない社会奉仕活動、そして、悔やまれる死
92年、川井田豊氏が同社の代表取締役社長に就任。見事に事業の再生をはたし子息の川井田佳遠氏に事業を継承した。その後、不動産・投資部門で活躍していた川井田豊氏は『企業は社会活動の一端を担わなければならない』との信念から「企業は社会貢献を積極的にすること」を掲げ、さまざまな慈善活動を行った。その1つに野球観戦の招待がある。毎年、児童養護施設ひばりが丘学園や社会福祉法人相互福祉会希望学園、在宅心身障がい者療養訓練施設やすらぎ荘の青少年ら合計400人を、春、秋ともに200人ずつに分けて、ヤフオク!ドームでの野球観戦に招待している。業績が落ち込んでいたときも、この慈善活動は必ず行なわれていた。その功績が称えられ、特定非営利活動法人子どもの村福岡、公立大学法人室蘭工業大学、公益財団法人佐賀国際重量子線がん治療財団などから数々の感謝状が授与されている。
その川井田豊氏が亡くなったのが18年3月9日午前5時ごろ。死因は、くも膜下出血とのこと。享年69歳。急遽、三男の川井田佳遠氏が代表取締役社長に就任。川井田豊氏が次期事業継承者として時間をかけて育成してきただけあって継承は問題なく行われている。また昨年夏からは四男の川井田佳陽氏が専務として在籍している。
損得勘定抜きの提案が最大限の信頼信用を生む
代表取締役社長となった川井田佳遠氏は東京の大学を卒業した後、福岡市内のホテルに勤めた。礼儀作法、応対そしてマナーなどを学ぶにはホテルが最適との先代の薦めからである。「厳しい仕事場でした」とシビアな現場を経験した佳遠氏には経営学の糧となったようだ。だが、ホテルでの仕事に就いて9カ月後の14年12月、先代が倒れたとの連絡があり佳遠氏は1人、病院に駆け付けた。その時、「自分は三男。図々しいのでは」と思いつつも「このままではいけない。父をサポートしなければ」との思いに駆られ、ホテルを辞めて同社に戻った。その後、先代を支えながらも経理を1年間、工場仕事では1年強の現場仕事を学んだ。「会社のすべてが見えるようになっておけ」との先代の言葉通りとした。
先代は財務関係の書類において、3重もしくは4重のチェックは欠かさなかったそうだ。丁寧な仕事だが、チェックするのに非常に長い時間を要していたのは事実。今後はチェックの簡素化、作業時間の短縮化は課題である。
同社の立ち直りのキッカケとなった塗装合板製造は現在ほとんど行っておらず、インドネシアやマレーシアなどの海外企業から仕入れており商社と言っても過言ではない。だが、長い取引のなかで同社は海外企業から絶大な信用を得ているという。その理由は先代の教えにあった。仕入先である海外企業が誤って欠陥のある商品を大量に輸出してしまったことが発覚。日本国内において大掛かりな手直しが必要となった。それを知った佳遠氏は手直しの方法、工場稼働、人員の手配において、パートナーである海外企業の損害を最小限に留めるための方法を提案した。それは先代が苦難のときに周囲からうけた心が事業承継とともに受け継がれたものだろう。先代の教育の下、確かな人脈形成で経営の安定化を図る兄・佳遠氏。そして、経営のサポート役として脇を支える弟・佳陽氏。固い結束のもと期待できる商社ではないだろうか。
(了)
<COMPANY INFORMATION>
代 表:川井田 佳遠
所在地:福岡県糟屋郡宇美町宇美3351-3 早見工業団地内
設 立:1957年3月
資本金:6,100万円
TEL:092-933-2664<プロフィール>
川井田 佳遠(かわいだ・よしひろ)
1981年3月25日生まれ。法政大学卒。2005年1月に高千穂(株)へ入社。先代である川井田豊氏の逝去により、18年3月に代表取締役社長に就任。趣味はゴルフ。関連キーワード
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