落ち目の文在寅政権 植民地時代の実相を知るべきだ(後)
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「親日派」という言葉の意味
注目されていた文大統領の「3・1独立運動100周年記念演説」は、とりわけ反日的な内容もなく、淡々としたものに終わった。「過去は変えられないが、未来は変えられる」。文大統領らしからぬ超甘口のフレーズは、私には気味悪くすら感じられた。前日の米朝首脳会談の決裂が、それほど「晴天の霹靂」であったということなのだろう。
文大統領の演説では「親日派」(韓国民族への裏切り者という意味)という言葉が、またぞろ国内政治用語として登場した。韓国で右派・保守派攻撃を行う際に用いられる常套句である。菅官房長官も「日本語の意味とは(韓国では)違いますからねえ」と困惑気味に、記者会見で語った。
ところが、この「親日派」という言葉の起源に関して、本格的に研究した著作がない。旧悪をあげつらう政治的文書があるだけだ。不思議な話だ。
ありていにいえば、敗戦当時の朝鮮人は99%が親日派(日帝への協力者)だった。李承晩や金日成など戦時中に外国に逃亡していた朝鮮人が、帰国後に政敵攻撃のために使い始めたのが、「親日派」なる用語だった。これが無限定に乱用され、最近では右派=親日派の用例が頻出するようになったのである。
文大統領演説では「アカ」攻撃の起源に関する奇妙な屁理屈まで登場した。これを放置すると、またぞろ恣意的な歴史理解が自国認識を狂わせることになるだろう。コリア史は個別分野を研究してゆくと、コリアの定説に「不都合な事実」が容易に発見される。ところが、それらの「真実」が学術本で明確にされない。コリアにおける権力追従型の学問の系譜が、その背景にあるのだ。
韓国人の植民地体験記で、信頼が置ける本がないわけではない。
私は次回作『日本統治下の朝鮮シネマ群像』(5月刊行予定)を書くために、300冊ほどの書籍や論文を読んだ。玉石混交だったが、柳宗鎬「僕の解放前後1940-1949」という本には感心した。ソウル延世大学の詩人教授が書いたものだ。日本語訳もある。
1935年、忠清北道生まれ。とても記憶が明瞭で、小学生時代の思い出を生き生きと描いている。日本人の女の担任教師(鹿児島出身)も登場し、同郷の私はホロリとさせられた。韓国人の歴史学教授が、僕に「植民地時代の口述記録にろくなものがない」と嘆いたことがある。この著作は、その間隙を埋めるものだ。韓国の良心的な研究者の評価も高い。これを読めば、植民地朝鮮の実相に接近できるはずだ。文大統領にも、ぜひ一読を、と勧めておきたい。
(了)
<プロフィール>
下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授(マスメディア、現代韓国論)を歴任。現在、著述業(コリア、台湾、近現代日本史、映画など)。最新作は「忘却の引揚げ史〜泉靖一と二日市保養所」(弦書房、2017)。関連キーワード
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