シリーズ・消えた「流通企業」世界のヤオハンは、海外で15カ国、5,000億円で消滅した~ヤオハン
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企業のグローバル化が当たり前になっている今日だが、その昔、世界15カ国に出店し、5,000億円の売上をつくり上げた流通業があった。名をヤオハンという。そして、あっという間に消えていった。
NHK朝の連続ドラマ「おしん」が大ヒットしたのが1983年。このころ「主人公のモデルは私の母だ」と名乗りをあげた流通業は少なくない。ヤオハンもその1つ。世界のヤオハンとして全盛期には15カ国に店舗展開、総売上高5,000億円を誇った企業だ。
ルーツは熱海。和田良平とカツが営む青果店であった。「おしん」のモデルはこのカツさん。よく働く肝っ玉かあさんだった。和田家には5人の男の子がいた。長男は一夫。外交官志望だったが、長男ということもあり家業を受け継ぐ。しかし彼の夢は常に海外にあった。その証拠に社名を「八百半デパート」と名乗り、1960年代は店舗ロゴに地球儀を表した。1962年に社長となった一夫氏は1971年、一気に海外戦略に走る。ブラジル出店である。このころ大手チェーンはすでに全国展開していた。一夫氏はヤオハンが生き残る道は海外しかないと考えたうえでの英断だった。ブラジル出店は当初順調だった。しかし、ブラジル経済の極端なインフレと混乱に巻き込まれ6年後にやむなく撤退する。その責任をとったのは三男の尚己氏。そのままブラジルに残った。
一夫氏は、ブラジルの失敗を国内で跳ね返す戦略に転換する。SMを中心に積極的な店舗展開をすすめ東証一部上場まで漕ぎつける。しかし、一夫氏はまたここで海外戦略へと拡大路線に走るのである。国内事業は次男の晃昌氏に任せ、香港、中国、マレーシア、タイ、アメリカなど15カ国に進出する。会社組織もヤオハン・インターナショナル・ホールディングスを立ち上げ本部を香港に移し海外戦略の最前線を指揮した。
こうした行動に国内の金融機関は反発し、海外出店の資金融資に難色を示した。そこで一夫氏は転換社債とワラント債発行でこの窮地を凌いだ。だが、債権はいずれ償還しなくてはならない。社債の償還期日が近づくにつれ、国内では「ヤオハンが危ない」という噂が流れる。そこで、一夫氏はヤオハン・ジャパンの代表を四男の光正氏に任せる。伊藤忠商事出身の光正氏はあらゆる手段を尽くし再建に走った。しかし、その甲斐なく1997年に会社更生法を申請しヤオハンは破綻した。光正氏はその後、心労のため夭折している。
破綻後のヤオハンは、ダイエーとジャスコ(イオン)がそれぞれ店舗を譲り受けるが、今度はダイエーが経営不振に陥り、結局イオングループとなる。現在はマックスバリュ東海として営業を続けている。なお、和田家の五男、泰明氏はイズミの山西義正会長の目に留まり娘婿となり養子入りしている。その経営ぶりは長男・一夫氏とはまるで逆の堅実経営である。
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