福岡県の8信用金庫~その経営統合の行方を検証する(3)
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【表1】を見ていただきたい。福岡県に本店がある信金(8金庫)の概要である。
~この表から見えるもの~
1番古いのは大牟田信用組合を始祖とする大牟田柳川信金で、1917年(大正6年)5月21日の設立。102年の歴史はあるが店舗は14と少ない。出資金は400百万円。
・2番目は飯塚信金で、1922年(大正11年)12月22日の設立。96年の歴史がある。19(出張所1を含む)店舗となっている。出資金は482百万円。
・3番目は福岡ひびき信金で、1924年(大正14年)1月15日の設立。95年の歴史がある。47(1)店舗福あり、福岡県にある8金庫の124(3)店舗の40%弱となっている。出資金は34億79百万円で、8金庫合計の50億30百万円のうち、69.1%のシェアを占めている。
・4番目は筑後信金(久留米市)で、1924年(大正13年)11月21日の設立。94年の歴史はあるが13店舗。出資金は215百万円。
・5番目は福岡信金で、1925年(大正14年)1月22日に設立され、同年9月8日から創業。93年の歴史があるが15(1)店舗と少ない。出資金は680百万円。ここまでが戦前に設立された信用組合(信用金庫の前身)である。
・6番目は田川信金で、戦後の1948年(昭和23年)8月1日の設立。9店舗で出資金は215百万円。
・7番目は遠賀信金(遠賀郡水巻町)で、1949年(昭和24年)9月8日の設立。15店舗で出資金は205百万円。
・8番目と最後の大川信金は、1951年(昭和26年)5月7日の設立。10店舗で出資金は236百万円。
・戦後に設立された信金は3庫。田川信金・遠賀信金は、「石炭産業の隆盛」によるものであり、大川信金は「家具の町大川」をシンボライズするために設立されたものと推測される。
理事長がプロパーなのは大牟田柳川信金など6金庫。福岡信金の理事長には安部文仁氏、遠賀信金の理事長には岡部憲昭氏が就任している。ともに財務省(旧・大蔵省)の出身である。参考に【表2】を見ていただきたい。
福岡市の人口は1,528千人で福岡県の約30%を占めている。福岡市で福岡信金が生きていくには後ろ盾が必要となる。また遠賀信金も人口の少ない遠賀郡水巻町に本店があり、制約が厳しい信金にとってハンデが大きく、市場の広い北九州市および近隣に進出するには、やはり後ろ盾が必要であるからと推測される。
福岡県にある信金の金融再編成に当たっては、必ずこの2人が名を連ねることになりそうだ。2人の間には、すでに福岡財務局の意向に沿った合併構想絵図が出来上がっているのではないだろうか。
【表3】を見ていただきたい。福岡県に本店がある信金の合併推移表である。
~この表から見えるもの~
福岡県の信用金庫で最後に合併したのは大牟田柳川信金。2004年11月に大牟田信金と柳川信金が合併している。
・2008年10月24日、大川信金と筑後信金が、2009年11月をメドに合併を予定していると発表。しかしシステムなどの調整で、当初より1年11カ月遅れて2011年10月に延期。合併延期の発表と同時に、新信金の名称を「福岡みなみ信用金庫」と公表。間違いなく合併すると見られていた。ところが、信金共同事務センターのシステムを全面的に利用している筑後信金と、一部独自のシステムを採用している大川信金との間で、2011年10月の合併時までにシステム統合の最終調整がつかないことが明らになった。発表から2年半経過した2011年5月27日に合併計画を白紙に戻しており、その後合併の動きはない。
<まとめ>
筑後信金と大川信金の合併は白紙となった。そのため、福岡県の信用金庫では2004年11月に大牟田信金と柳川信金の合併以来、15年近く合併がない状態が続いている。筑後信金と大川信金の合併が破談となったことが大きく影響したようだ。しかし、今は生き残るためには合併しか道が残されていない状況にある。今後名乗りを上げるのははたしてどの信用金庫なのだろうか。
(つづく)
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