日本最大のミュージカル集団に育てた創業者 劇団四季に賭けた浅利慶太氏の人生(3)
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ジャーナリスト 元木 昌彦 氏
ミュージカルがついに花開く
それからしばらくして、浅利さんから、「参宮橋を引き払って、あざみ野へ移る」と聞かされた。浅利さんや劇団員の汗と涙が染みついている稽古場を離れるのは辛い決断だったはずだ。あざみ野は、現在は閑静な住宅街だが、当時はまだ寂しいところで、都落ちという感じは否めなかった。
そのころは、本場ブロードウェイの舞台を日本にもってくる松竹(株)が、まだ力をもっていたはずだ。浅利さんは、すべて日本人によるミュージカルを根づかせたい、そう考えていた。だが、それも頓挫するかもしれない。考え抜いた末に、浅利さんは『キャッツ』を劇団四季で上演する決断をする。話は『キャッツ』の招待日に戻る。
列に並ぼうとしていた私たちのところへ、浅利さんがきてこういった。「悪い、予定していたより大勢のお客さんがきてくれた。君たちは改めて招待するから、ホテルのバーで飲んでいてくれないか」。ホテルのバーで飲みながら終わるのを待った。招待日に開かれる演者たちを含めたパーティに行くと、タキシードを着た浅利さんが、晴れ晴れとした顔で、お得意のユーモアあふれるスピーチを披露していた。あの時の熱気を忘れることはない。日本人による日本人のためのミュージカルがついに花開いたのである。
機を見るに敏、商才に長けた人
浅利さんは、演出家としても超一流だが、経営的センスも超がつくと思う。たとえば、『キャッツ』の初演は11月11日だった。後になって、浅利さんから「なぜこの日にしたかわかるかい?」と聞かれた。チケットが発売されると、メディアは「『キャッツ』のチケットが即日完売」と報じていた。浅利さん曰く、1日から発売すると、劇団四季にいくらチケットを売る力があっても、即日完売にするのは難しい。だけど、11日からにすれば20日間だから、チケットを完売することは難しくない。「即日完売」と新聞に出ると、そんなに人気があるなら私も見たいという人が出てくる。
浅利さんは、チケットの値段も、こう考えていた。チケットの値段をできる限り低く抑える努力をして、多くのお客に気軽に足を運んでもらいたい。そして感動してもらえば、またリピートしてくれる。これは経済の原則だという。
「チケット価格の設定で、私がずっと崩さずにきたのは、『最高額でも、大学卒の初任給の20分の1とする』というものです。しかしそれは、なかなか大変な道のりでもありました。とくに海外ミュージカルの場合、著作権者に支払うロイヤリティなども含め、製作費に莫大な費用がかかります」。
彼は、1995年のディズニーミュージカル『美女と野獣』の時、最高額を1万2,000円にしないと採算が合わないと主張するスタッフに、目指しているのはロングラン公演の成功だから、観客の負担を軽くするために1万1,000円にするといって押し通した。大きな成功を収め、多くのファンを獲得した2008年には「劇団四季入場料金値下げ」という全面広告を新聞に打った。機を見るに敏、商才に長けた人でもあった。
浅利さんと会うと、いつもいわれていたことがある。「元木さん、たまにはうちの芝居を観にきてくれよ」。映画は好きだが、舞台を観るのは正直苦手なのだ。毎回、カミさんや娘に行ってもらっていたから、観たことがなかった。『キャッツ』は、ロンドンへ行ったとき、たまたまやっていたので観に入った。本場のものを観た後、だいぶ経ってから四季の『キャッツ』を観たのだが、浅利さんが自慢するように、本場のものと遜色なかった。
『キャッツ』公演の成功以来、劇団四季は名実ともに日本一の演劇集団になっていった。劇団四季発祥の地であった参宮橋の稽古場を売り払う予定だったが、『キャッツ』の成功で売らずに済んだ。
(つづく)
<プロフィール>
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)などがある。関連キーワード
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