中国経済新聞に学ぶ~アメリカ・ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル名誉教授に聞く 日中関係を処理するカギは果たしてどこに(前)
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アメリカ・バーバード大学のエズラ・ヴォーゲル名誉教授、89歳。一九六〇年代に中国を訪れ、中国の社会と歴史を研究し、(ハーバード東アジア研究所長の二代目所長となり、「世界初」の中国学者で中国問題の専門家と言われている。
ヴォーゲル教授は先ごろ、愛知大学からの講義依頼に応じて訪日した。
私は、かつてハーバードに在籍し、ヴォーゲル教授とかなりの付き合いがある友人の李春利教授から紹介を受けた。
私はかねてからヴォーゲル教授に畏敬の念を持っており、『鄧小平』や、四〇年前に書かれた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』といった著書を読んでいる。
出会った時、「宇宙人のようですね。常に普通の人より高い位置から中国を、アジアを読み解くなんて」と言うと、教授は「まだ勉強中ですから」と謙虚に答えた。
内輪での昼食会で、ヴォーゲル教授はなんと、私より上手な日本語であいさつしたのである。私はこの場で、わざと中国語で会話したが、中国語も大変流暢だった。そして、私の名刺を一目見て、たちまち中国語で「徐静波」と書き記した。ユダヤ人の頭脳に改めてリスペクトしたのである。
ヴォーゲル教授への取材は、新書である『日中関係史』から始めた。執筆に七年間を要したという。日中関係に関する大量の文献や資料を読み漁り、また長年積み重ねた両国の歴史の研究成果を、六〇〇ページあまりで著したものである。日本語版は去年十二月末に出版されている。
日中両国はまず互いに長所・欠点を学び合う関係
ヴォーゲル教授は日中両国について、まず互いに長所・欠点を学び合う関係で、次に力比べをする関係である、と語った。
中日関係の変化の第一波は、六、七世紀における日本の遣隋使・遣唐使である。当時、中国は隆盛を極めた先進国で、長安は世界最大の都市であった。日本は中国に学ぶため、多くの使者や留学生を派遣し、かなりの留学生が長期に滞在して中国語を学び、そして中国の政治や社会制度、都市計画を学んだ。これにより日本に文字が生まれ、最初の都となる奈良が築かれ始めた。
つまり、中国は日本の文化の母なのだ。中国はその時から常に日本の上にあり、日本も中国の文化に限りなき敬意を抱き、中国に朝貢をしていた。
しかし、清朝の末期に甲午戦争(日本は「日清戦争」と呼ぶ)が勃発し、明治維新を経て強力になった日本の海軍が、中国の北洋艦隊をほぼ全滅させた。のちに下関条約を結び、強かった清の帝国が領土割譲と賠償金支払いという事態を演じ、中日関係に歴史性な逆転が生じた。千年以上続いた「日本の上に中国」という状態が覆って、日本が中国の上に立った。これが両国関係における第二波である。
しかし、ヴォーゲル教授は面白い現象を発見した。屈辱外交を喫した中国が、公費や私費で大量の留学生を日本に送り込んだのである。つまり清朝末期、中国で日本ブームが巻き起こったのだ。
孫中山に始まり、李大釗、周恩来、康有為、梁啓超、蔡鍔、蒋介石、秋瑾、魯迅、郁達夫、徐志摩など、中国近代史に名を遺した人物はほぼ日本留学を経験しており、合わせて数万人に達している。中国の近代の教育制度や繊維などの産業はおおむね日本を真似したものである。最初の中国語版『共産党宣言』も、早稲田大学に留学した陳望道氏が書いたもので、日本の同名著書の翻訳である。そして、多くの日本の漢字が中国に伝わり、中国語に厚みが加わった。
これは、中国が最初に日本から学んだ時期である。
そしてまた、一九八〇年代前後の改革開放の時期に再び日本から学ぶ。「文化大革命」の後、経済や社会の立て直しをはかるべく、一九七八年に鄭小平が訪日した。
(つづく)
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