昨年の10月半ば、単独で脊振山系の金山の登山道整備に出かけた。登山道を半分ほど歩いて沢を飛び越えようとしたとき、飛び乗った小さな岩で足が滑り、腰にダメージを受け、打撲とは違う痛みを感じた。登山口から1時間ほど歩いた場所であった。時間をかけて緩やかな登山道を1人で下山した。帰宅しても痛みがひかないので、時々通院している近くの病院に行き診察を受けた。レントゲン検査の結果は、腰の圧迫骨折だった。翌日から、1カ月間入院。病室とトレーンング室でコルセットを装着したリハビリが続いた。コルセットは外れたが、今もリハビリは続けている。
怪我からの復帰
怪我から5カ月たちコルセットも外れたので、リハビリも兼ねて脊振山系の蛤岳の周辺を歩くことにした。蛤岳(863m)は脊振山から連なる山で初心者でも歩きやすい。福岡県と佐賀県の県境に位置し、五ケ山ダムに脊振山と蛤岳からの湧水を注いでいる。
五ケ山ダムは福岡県最大のダムである。山頂に大きな岩があり、中心から2つに割れ、蛤のかたちをしているのが蛤岳の名の由来である。
今回は、早春に咲く花「ショウジョウバカマ」の観賞が目的でもある。メンバーに声をかけ男女7名が参加することになった。

メンバーは脊振の自然を愛する会のシニアたち。ただ、シニアとはいえ普通のシニアではない、山に熟練したワンゲルの先輩、後輩と山仲間たちだ。年齢は81歳が2人、78歳が3人、60代女性が2人。
3月25日(火)五ケ山ダム周辺の大杉の駐車場に集合。この大杉はダム建設で埋没する神社から数億円をかけて移築された。今も鉄鋼に囲まれ保護されている。
集合場所から車数台に分乗し林道を登った。林道終点に登山口がある。ここで車を停め、登山準備をして山道を進んだ。
10分も歩くと、今も現役の蛤水道に着く。蛤水道は脊振山から湧き出た水を佐賀県へと注いでいる。江戸時代は福岡藩と佐賀藩の「水争い」の場所でもあった。狭い水道であるが、脊振山と蛤岳から湧き出す水が佐賀方面へと勢いよく流れでている。江戸時代の趣を残した水道は幅50㎝ほどがコンクリートで補強されている。この水道の上流へと進む。5分も歩くと蛤岳直登コースと迂回コースに分かれる。今回は直登コースを選んだ。傾斜をともなう杉林や、樹齢100年を超える杉にも出会えた。
清水が流れる沢沿いの道を進む。マイナーなコースであるので道が分かりづらい。どうやら迷い込んだらしい。地図アプリのヤマップを確認しながら歩き続けた。すると赤いテープを目にした。特徴のある樹木に巻いたテープで周りの自然に配慮するように巻いてある。山仲間のIが付けたものだ。Iとは時々、脊振の山で出会うことがある。
分かりづらいルートではあるが、現在地が分かっているので不安はない。やがて踏み跡の登山道から本線の登山道に合流できた。登りやすい山道は腰へのダメージもなかった。正規ルートから、樹林帯へ入り、明るい空間がある場所で休憩した。この日は、他の登山者とも出会わなかった。
仲間たちは、それぞれ距離を置いて腰を下ろし、エネルギーを補給した。賑やかな先輩Tの話が続く。現在、一人で黙々とやっている飯盛山周辺での登山道整備の話である。
女性陣がおにぎりや、お菓子のセットを振る舞ってくれた。今回はツクシとヨモギ入りのおにぎりである。いつも果物を持参してくれる後輩Hからは、ポンカンが1個ずつ回ってきた。
風もなく静かな空間であった。ここから樹林帯へ入ると、今回の目的のショウジョウバカマの群生地に着いた。春の訪れとともに咲く花である。
2月、3月の初めに冷え込んだので、花の開花時期が遅れていると予想はしていた。案の定、ショウジョウバカマは、わずかに花の芽を出したのを見られるだけであった。筆者たちは、あと10日はかかると予測した。
香木のクロモジの芽吹きも始まっていない。香木のクロモジと山野草のショウジョウバカマが咲くと、山に春の兆しを感じる。

「また、会いに来よう」と思い、下山した。下山した仲間たちは、それぞれアイスクリームや豆腐を求めて山間にある店へ立ち寄った。筆者たちは立ち寄らずに板谷峠を下り、自宅へと向かった。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行