コロナ蔓延下にみる日本の現状~イタリア在住の日本人から(2)
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏のもとにイタリア在住の日本人から見たコロナ蔓延下における日本の状況について投稿が寄せられたので、要約して以下に紹介する。
福島の時も、さっさとエキスパートを集めて対策本部の中心に据えればいいものを、国として隠し続けたい大きなうそや事実の虚飾があったからか、それを暴露されるのを恐れ、政府に都合の良いことしか発言しない御用学者は集めても、政府にとっては部外者、しかし真実に誠実な科学者、専門家からの意見を中立に聴くことはなく、汚染のさらなる拡散を防止する対策にも「右往左往、あっちにこっちに」と無用に費用だけかけ、成果はゼロ。
大切な公費がただの浪費と消え、復興対策にしても予算は確保しても丸投げ状態。本当に復興費用が使われるべきところに一向に使われず、それはいまだに使われておらず、誰のための復興費用か?と問いたくなります。
まあ、きちんと答えられる人はいまだにいないでしょう。復興関係者の懐に収まったのでしょうから。今回、危機管理のできない日本政府の「無能無策」さと、私が頻繁に使う「この親にしてこの子あり」の、この政府に見合った国民の民度をもはっきり露呈されているように思います。
政府のみならず、国民においても危機感が非常に薄いとしか思えません。日本人は、厳しい現実を冷静に直視してまず自分で状況を判断するという能力に欠けています。政府の言ったことに不満や不安があるならば、自分なりに信憑性があると思われる情報を収集し、その結果、自分がすべきと思った行動を取ればいいだけなのに、この国の人は“ぶつぶつ”文句を言いながら、“だらだら”と言いなりになります。
それでは自分の身を守ることさえ、他人に委ねていることになりはしないでしょうか?それも自分があれだけ軽蔑し、不信感を感じている政府にです。自分で自分の責任のもとに、今何をすべきで、何をすべきでないか。を決める能力というか、意識に欠けています。私には「責任を取りたくない政府に責任を取りたくない国民」と映ります。
現在、日本ほどコミュニティが崩壊している国はないのではないでしょうか。
私の考えるコミュニティとは、ただ皆が平等を「装い」、単に世間体と規則があることによって辛うじて保たれている秩序のなかで、人々がただ同じ場所に集うことではなく、ただの一個人である自分がなんの不足も危険もなく、ただ共通に与えられた安全便利を享受して暮らす、そんな場所でもなく、非人間的なレベルの生活を強いられている人が1人もいない環境、それを、真のコミュニティと私は呼びます。ということは、コミュニティのなかで困窮している人がいたら、下から上へと「掬いあげる」(救いあげる)という機能が普通に存在している社会ということです。
コミュニティには、必ずコミュニティをまとめ、導くリーダーのような人物が欠かせませんが、そのリーダーがまず、全体の状況を慎重に把握して、底辺にいる人を「掬いあげる」ということを率先して行わなければいけないというのに。ところが、日本では効率、生産性、費用対効果を何よりも重視し、それを行うリーダーもいなければ、市民も極めて少ないのです。彼らが行うのは、生き残るものと見捨てられるものの差別化です。コミュニティとは、互いにどこかでつながりあっているものですが、日本の集団にそれはありません。ただ自分のことしか考えない“個”が何かしらの自分の利益もしくは単なる世間体によって集まっているだけで、そこに互いの「隠れた」競争心は存在しても、互いの「良かれ」や集団の益を思う「情や共感」が不足しています。
皆が勝手に自分の「良かれ」だけを考えて生きている社会は今回のコロナ禍のような混乱に陥るとたちまち機能しなくなります。(つづく)
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