2024年12月23日( 月 )

介護大手ニチイ学館の創業家の相続税対策~自社買収(MBO)による株式非公開(前)

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 「大きすぎる富は災いを生む」というが、その最たるものは遺産相続だろう。その遺産が現預金や不動産であれば、不満の声が上がることはあっても、最終的にはすべての関係者にそれなりの分け前が入る。だが、遺産が会社の株であれば、事業継承と絡むため、一筋縄ではいかない問題を招きかねない。なによりも、払わなければならない相続税をどうやって捻出するか、と頭を悩ますものである。

混乱の末にMBOが成立

 介護大手の(株)ニチイ学館は8月18日、米投資ファンドのベインキャピタル(以下、ベイン)とニチイ経営陣、創業者一族が組んで実施していたMBO(経営陣が参加する買収)について、TOB(株式公開買い付け)が成立したと発表した。17日までの買い付け期間中に、自己株式をのぞいた発行済み株式数の82.27%の応募が集まった。MBOの成立を受け、上場廃止を決める臨時株主総会を10月に開催する。買い付けに参加したニチイ学館の森信介社長らは引き続き経営にあたる。

 この間、株価がTOB価格を上回り続け、経営陣がTOB価格を再三にわたり延長するという異例な展開となった。この問題の元をたどると、創業家の相続税対策に端を発する。

創業者が残した時価200億円相当のニチイ学館株

 すべては、創業者の寺田明彦会長が19年9月28日、すい臓がんのため83歳で死去したことから始まった。

 寺田氏は企業による本格的な介護サービスを国内で最初に始めた人物である。寺田氏は長野県出身で、1957年に早稲田大学教育学部中退。68年に起業し、医療事務受託事業を開始し、73年に(株)保育総合学院(75年にニチイ学館に社名変更)を設立。95年に日本証券協会に株式を店頭登録し、96年に在宅介護サービスを始め、99年に東証二部に上場(2002年に東証一部に昇格)した。

 2005年6月に寺田氏は社長から会長に退いた。子会社の土地売却にともなう経理処理を誤ったことから、東証は同社の株式を監理ポストに割り当て、虚偽記載で上場廃止基準に抵触するかどうかについてチェックを始めた。寺田氏は監理ポストに割り当てられた問題による引責辞任という見方を否定したが、市場関係者は引責辞任と受け取った。

 ニチイ学館は医療関連、介護、英会話教室を3本の柱に事業を拡大してきた。しかし、国内の介護事業は競争が激しく、新規事業で始めた英会話教室も苦戦。14年には会長兼務で社長に復帰し、中国展開などを進めた。17年に社長を森信介氏に譲り、会長に就いていた。

 創業者の明彦氏の死によって、悩ましい問題が起きた。保有していた当時の時価で200億円超といわれるニチイ学館株は、長男の副社長・寺田大輔氏、次男の常務の寺田剛氏ら親族が引き継いだ。納付を迫られる相続税は莫大な額に及ぶため、どうやって、相続税を支払うかということに注目が集まった。ここから、大騒動が始まった。

米投資ファンドのベインと組んでMBOを実施

 ニチイ学館は5月8日、米投資ファンドのベインキャピタルの子会社を通じてMBOを実施し、株式の非公開化を目指すと発表した。

 MBOのスキームは複雑だが、このような仕組みになっている。まずベインが270億円を出資して設立する受け皿会社が、メガバンク3社と野村證券グループから借り入れて、986億円の資金を調達。5月7日の終値1,094円に37%のプレミアムを乗せた1株1,500円で、6月22日までを期限にTOBを実施する。買い付け総額は1,000億円規模になる見通しで、創業家一族はTOBに応募する。

 受け皿会社は、ニチイ学館の森信介社長と寺田大輔氏ら親族6人と1法人から、保有株と新株予約権を合わせて、1,269万株(所有割合19.28%)を買い付ける。

 TOB完了後に、亡くなった寺田明彦氏の妻、寺田邦子氏が代表を務め、24.76%のニチイ学館株を保有する資産管理会社の(株)明和を受け皿会社に譲渡し、創業家一族も受け皿会社に出資。そのうえで、6月24日に開催される株主総会で、受け皿会社がニチイ学館を子会社化して上場廃止する。

 非公開後も森社長が引き続き経営にあたり、創業家で長男の寺田大輔副社長は退任するが、次男の寺田剛常務が新たに副社長に就任するというもの。

(つづく)

【森村和男】

(中)

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