2024年12月23日( 月 )

新生ファミマ・澤田社長とローソン・玉塚社長は、ユニクロでの挫折から再起した盟友だ!(前)

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 新生ファミリーマート社長の澤田貴司氏(58)とローソン社長の玉塚元一氏(53)。2人は、ユニクロのファーストリテイリングで副社長、社長を務め、ユニクロを飛び出してからは企業経営支援会社リヴァンプを立ち上げた盟友だ。その2人が今度は、コンビニのトップとして雌雄を決する立場に変わった。かつての盟友たちのライバル対決に、注目が集まる。

新ファミマの社長に就く澤田貴司

familymart1 2月3日、コンビニ国内3位の(株)ファミリーマートと同4位のユニーグループ・ホールディングス(株)は9月1日付で合併すると発表した。新社名はユニ-・ファミリーマートホールディングス(株)となり、コンビニの屋号をファミリーマートに統一する。
 持ち株会社の社長にはファミリーマートの上田準二会長が就任。コンビニ事業を手掛ける子会社(株)ファミリーマートの社長には企業再生会社(株)リヴァンプの澤田貴司・社長兼最高経営責任者(CEO)が就く。

 澤田貴司氏は1957年7月12日、石川県に生まれる。81年に上智大学理工学部物理学部卒業後、伊藤忠商事(株)に入社。学生時代からユーミンこと松任谷由実さんの自宅に出入りするなど親交があり、「苗場SURF&SNOWコンサート」の発案者の1人だ。
 アメフトの練習に明け暮れていたので、澤田氏の成績はものすごく悪かった。普通なら商社には絶対に入れないが、力のある先輩を拝み倒して、何とか採用された。裏口入社だった。

 伊藤忠では(株)イトーヨーカ堂グループ(現・(株)セブン&アイ・ホールディングス)を担当し、ヨーカ堂による米国セブン-イレブン買収に奔走した。ヨーカ堂に出入りするうち、商社にない小売業の面白さに目覚めた。そこで澤田氏は、外資系小売業の日本進出を支援するプロジェクトチームを立ち上げた。
 米国のホームセンター、家具チェーン、オフィス文具チェーンなどが候補に挙がったが、このプロジェクトは1年も経たずに解散に追い込まれた。理由は「時期尚早」ということだったが、澤田氏の突出した行動に周囲の反発があった。97年、失意のうちに退社した。
 澤田氏が去った1年後の98年、伊藤忠はファミマを買収した。

 三菱商事(株)は2001年、(株)ローソンを買収。ローソン買収のプロジェクトチームを率いていた新浪剛史氏が社長に送り込まれた。澤田氏が辛抱して伊藤忠にとどまっていれば、ファミマの社長候補として出向していたのは間違いない。ローソンの新浪氏、ファミマの澤田氏のライバル対決が、コンビニ界の話題をさらっていたことだろう。

社長要請を断り、澤田氏はユニクロを去る

 伊藤忠を去った澤田氏は、転職仲介会社を通じて97年に(株)ファーストリテイリング(以下、ファストリ)に入社した。ファストリ傘下のユニクロがフリースブームを巻き起こす1年前だ。知名度もなく、規模の小さな会社だった。1年半で副社長に昇進した。

 ファストリは成長エンジンとなる精緻なSPA(製造小売り)モデルや店舗自立型の運営手法を98年までに確立した。この大改革を創業者の柳井正社長とともに成し遂げたチームの中心人物が、澤田氏だった。
 澤田氏は伊藤忠の社員として米国に駐在していたときに、スターバックスコーヒー会長兼CEOのハワード・シュルツ氏と親しくなり、スターバックスが全米に店舗を広げていく様を間近で眺めた。同じ手法をユニクロで試したかった。

 爆発的なフリースブームは一瞬にして消えた。ユニバレ(ユニクロを着ているのが恥ずかしいという風潮)が起きて、ユニクロは急激に売上を落とした。
 副社長の澤田氏は、初の減益が濃厚になった際、柳井氏に社長就任を要請されたが、これを固辞し、02年5月にユニクロを退社した。その理由を、メディアはこう報じている。

 〈「結局は柳井さんの会社。自分では思い通りに腕が振るえないと思った」。周囲にこう語り、柳井のもとを去った沢田は今、改めて思う。「自分の力で再び成長軌道に乗せる自信がなかった」〉(日経産業新聞12年9月3日付)

(つづく)

 
(後)

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