ネットバブルの寵児、折口雅博氏の自伝『アイアンハート』を読む~逃避先の米国で、あのトランプ前大統領の知遇を得て再起!!(3)
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ネットバブルの寵児が戻ってきた。人材派遣大手グッドウィル・グループ(株)元会長・折口雅博氏が自伝『アイアンハート』(昭文社刊、税別定価1,500円)を出版した。副題は「ゼロから12年で年商7,700億円企業を創った不撓不屈の起業家」とある。日本ですべてを失い、米国に渡り再起、日本にカムバックしてきたのだ。早速、手に取って読んだ。逃避先の米国で何をしていたかを知るためだ。政治エンターテインメント「トランプ劇場」で米国社会の対立と分断を深めたドナルド・トランプ前大統領の知遇を得て蘇ったのだ。びっくり仰天である。
ネットバブルの狂乱で一夜にして億万長者に
折口雅博氏がベンチャー起業家として脚光を浴びたのは、1999年から2000年にかけてのネットバブルの狂乱時代である。
1999年6月15日、ソフトバンク(株)の孫正義社長が、米店頭市場・ナスダックの日本版、ナスダック・ジャパン(現・大証ヘラクレス)の設立構想をぶち上げた。「規則さえ満たせば、どんな企業でもどんどん公開させる」。孫氏は高らかにこう宣言した。これが熱狂の号砲となった。
その1週間後の7月7日、GWGが店頭公開を果した。日本証券業協会(現・ジャスダック)が株式公開基準の規制緩和策の適用第1号となった。
公開前、「赤字会社に値が付くか」と危ぶまれていたが、初値は公募価格の3.3倍の2,300万円(額面5万円)になった。設立4年5カ月の赤字会社でも株式が公開でき、加えて、株価が予想外の高値を付けることを実証した。GWGの店頭公開でネットバブルの第2弾ロケットが点火した。数カ月後には、GWGの株価は5,000万円を突破した。ネットバブルの狂乱によって、折口氏は一夜にして億万長者になった。その公開益で、冒頭にあげた金満家として大散財するのである。
コムスンを買収し、介護ビジネスの先頭を走る
株式公開で約52億円の資金を調達した折口氏は早速、M&Aに乗り出した。在宅介護ビジネスを展開する(株)コムスンを買収し、子会社に組み入れた。
介護保険制度がスタートした2000年4月1日、全国紙の見開き2面に巨大広告が掲載された。GWG傘下コムスンが、全国1,217カ所で、ケアセンターを開設したという内容。まず巨大な宣伝力で同業他社を圧倒したのである。
折口氏の積極姿勢はこれにとどまらない。今後、ケアセンターを毎年1,000拠点ずつ増やし、最終的に1万拠点体制を築いていく。10年後の年商は1兆円を見込んでいると公言した。
政府が音頭をとる介護ビジネスの旗手として、GWGは04年、東証一部上場、折口氏は日本経済団体連合会理事に就任。05年紺綬褒章、06年に日本赤十字社社長賞、07年厚生労働大臣賞を受賞。07年、年商7,700億円、ケアセンターは2,500拠点、従業員は10万人を超えた。
しかし、栄耀栄華は長く続かなかった。06年、GWG子会社のコムスンによる介護保険の不正な水増し請求が発覚。人材派遣事業でも不祥事が相次ぎ、経営が悪化。折口氏は08年3月に会長を引責辞任した。折口氏はGWGを去っただけでなく、日本から脱出。家族で米国に移住した。09年9月に、折口氏と、その資産管理会社が破産手続き開始決定を受けた。負債は312億円だった。
ネットバブルの2大スター、ソフトバンクの孫正義社長と、GWGの折口氏は明暗を分けた。ネットバブル崩壊の痛手から立ち直った孫氏は、世界の大投資家への道を駆け上がっていったが、折口氏は奈落に突き落とされた。
その違いは、軍師に人を得たかによる。孫氏には、笠井和彦氏という諸葛孔明のような大軍師がいた。他人を信用しない独裁者である折口氏には、軍師はいなかった。「守りは負けの始まり」を心得とする折口氏はアクセルを踏み続け、高速道路から飛び出し大事故を起こし自滅した。
(つづく)
【森村 和男】
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