【東日本大震災から10年(2)】福島第一原発事故から10年、放射性物質汚染の現状 公的除染終了後の問題(中)
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福島自然環境研究室 千葉 茂樹
もうすぐ、3・11震災・原発事故から10年を迎える。この原稿では、東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)による放射性物質の汚染がいまだに続く福島県中通りの現状を、私の徒歩の調査から報告する。また、後半には「2021年2月13日の地震で発生した問題」も書かせていただいた。
福島県本宮市~公的除染の問題点
公的除染の問題点を考えてみよう(写真資料(1))。
除染の目標0.23μSv/hに達していない
福島県のHPによると、除染の目標値は0.23μSv/hとなっている。これは、民間人の被曝限度量が年間1μSvで、時間あたりに直すと0.23μSv/hになるからである。除染後の16年の平均値は0.28μSv/hで、除染の目標値に達していない。
除染自体がされていない
人家の樹木は自費での交換となっている。このため、人家の敷地にある低木は除染されず、線量率が高かった。場所によっては0.72μSv/h(写真A、B)。耕作放棄の水田(除染対象外)も線量率が高く、最大で0.63μSv/h(写真C)。道路上には汚染土があり、最大0.94μSv/hだった(写真D)。道路脇の花壇も線量率が高く、最大で0.51μSv/h(写真E)。
除染の見落としがあった
除染されたアパートの敷地は、その多くで線量率が低下していた。しかし、敷地の隅にはまだ汚染土があり、最大0.33μSv/h(写真F)。
民間施設は除染されない
小規模な民間施設の入り口で、1.15μSv/h。除染前の15年も同様の値で、民間施設なので除染されなかった可能性が高い(写真G)。民間施設の駐車場は除染されておらず、最大0.46μSv/h。特に隅には汚染土があり最大で0.51μSv/h(写真H)。
除染作業で出た土の放置があった
歩道の街路樹の根元には放置された土が残り、一部は周辺に散らばっていた(写真I)。
除染後に線量率が異常に上昇した
二階建ての物置の雨樋下は、除染前の15年の数値が0.45μSv/hだった。除染後の16年には1.18μSv/hに上昇。状況からみて、屋根や屋根の雨樋にあった放射性物質が屋根の除染作業の影響で雨樋の下に移動したと考えられる(写真J)。
高圧洗浄機で取り除けないものは、そのままにされた
人家のブロック塀には放射性物質が浸み込んでいるらしく、表面で4.10μSv/hであった。2020年の調査でも線量率は高かった(写真K)。
いまだに存在する高放射線土「黒い土」
19年5~9月には二本松市市街地南部(本宮市に隣接。同じく第一原発から約60km)の調査を行った。調査地点は5,921地点、線量率は0.06~2.56μSv/h、平均0.28μSv/hだった。
ここでの大きな問題は、(1)平均値の0.28μSv/hが除染の目標値0.23μSv/hより高いこと、(2)1μSv/h以上の地点が22もあり、そのうち2μSv/h以上の地点が4つあったこと。さらに、(3)除染でなくなったはずの高放射線土「黒い土」があったこと(写真)、である。
19年の調査時点で原発事故から8年が経ち、かつ公的除染が終わっているにもかかわらず、1μSv/h以上の地点が22もあるとはどういうことなのだろうか。また、2μSv/h以上の地点が4つあったことにも驚いた。これらの高線量率の地点の一部は民間施設であったが、多くは公的除染の対象である民家の敷地・農地・農道・歩道だった。また、除染した民家の敷地の境界で線量率が高かった。おそらく近接する民家を除染する際に、それぞれの担当業者が違ったため境界の除染を行わなかったと推定される。この現象は本宮市でも見られたが、二本松市のほうがより顕著だった。
高放射線土「黒い土」は、原発事故直後の福島県中通りの各地で頻繁に見ることができた。この黒い土は公的除染で次々に取り除かれ、私が最後に見たのは14年に郡山市で調査を行った時だった。それ以降は、地表に土や砂が溜まって周囲より線量率が高い「黒い土もどき」は見かけるものの、明確な形状の「黒い土」は無くなっていた。しかし、19年の二本松市には存在した。21年2月にもその場所に行ってみたが、民間施設の所有者が変わったらしく立入禁止になっていた。遠くからではあるが、「黒い土」はまだ存在するように見えた。
公的除染が終わったにもかかわらず問題は多い。また、民間施設の除染も、国や県が指導して進めるべきではないのか。原子力事業は昭和30年代に政府が推進したことであり、原発事故もその結果なのだから、除染について政府は東京電力とともに責任をはたすべきなのだ。
(つづく)
<プロフィール>
千葉 茂樹(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ。岩手県一関市出身。専門は火山地質学。磐梯山の研究、原発事故関係の論文も。
この他に、「富士山、可視北端の福島県からの姿」などの多数の論文がある。2011年3月の福島第一原発事故の際に福島市渡利に居住していたことから専門外の放射性物質による汚染の研究を始め、現在も継続中である。関連キーワード
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