市町村大合併を拒否、過疎化でも村の地場産業を復活(前)
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市町村大合併を住民の6割が拒み、単独で生き残る道を選んだ岡山県西粟倉村。過疎化に負けず、村の資源を生かした地場産業の林業を復活させた。さらに、過疎地で深刻な問題となっている介護や子育てなどについては、地元のローカルベンチャーが行政と連携してサポートする。独自の村おこしを追った。
市町村合併を選ばなかった西粟倉村
小泉政権時代の「官から民へ」という大きな流れのなか、地方交付税が1997年以降、大きく減少。村の歳入が年々減るなか、当時の村長は村の事業を見直して合理化し、財政の健全化を図った。近隣の自治体よりも早めに着手したこの取り組みが、後に重要な結果を生むことになる。
西粟倉村の人口は約1,400人。土地の93%は森林で、そのうちの84%は人工林だ。この森林が地域資源であるが、国産材価格が下がり、林業従事者の高齢化が進んだため、村の産業である林業は衰退していた。
西粟倉村役場地方創生推進室長・上山隆浩氏は、「財政基盤が弱い村が単独でいかに生き残っていくかということが課題でした。しかし、地域の資源を生かすことに真摯に向き合えば、小さくても身の丈にあった経済をつくれると判断しました」と振り返る。
地方交付税は人口に基づいて交付されることから、人口維持政策を採用すれば維持され、単独の自治体として存続できるという考え方もあった。また、近隣市町村と合併すれば、村の役場は支庁として残るが、本庁に吸収されて役場の職員も減り、地場経済の活性化に弊害が出ることを見極めたという。下水道整備も94年に完了しており、市町村合併によるインフラ整備のメリットが見当たらなかったことも、合併に反対する理由となった。
西粟倉村は、岡山県外から人を呼び込むことに意識が向いている。兵庫県姫路市から鳥取市を結ぶ幹線道路「因幡街道」沿いに位置し、京阪神や東京方面への交通の便が良いからだ。
山村過疎化の背景
政府は第2次世界大戦後、東京に経済を一極集中させて国力を上げるという「国策」を推進。地域は人を育てて東京に送り出し、その代わりに地方交付税が配分されてきた。上山氏は「農業や林業は3Kと敬遠され、都会に出てヒエラルキーの勝ち組になることが良しとされた時代が続き、工場を誘致しても若者は村に帰ってきませんでした」と語る。
しかし、東京一極集中に限界が見え、「地方分散」が言われ出したここ10年で状況は変わってきた。「地域おこし協力隊」などの地域ビジネス支援制度ができて、ITの普及により地方に移住しやすくなった。勝ち組・負け組よりも「何をするのが幸せか」という尺度をもち、移住に抵抗を感じない若者が増え、社会的にさまざまな価値観を推奨する流れとなってきた。
地域資源を生かすローカルベンチャー
西粟倉村では2015年から、地域資源を活用して村の基盤をつくる「ローカルベンチャー」をサポートしている。現在は45社、新規雇用創出数220名となり、事業規模は約21億円に上る。西粟倉村役場が主体となり、森林資源の価値を最大化する「百年の森林構想」では、(株)西粟倉・森の学校が木材から家具や内装材をつくり、村外に販売する産業を生み出してきた。
介護・福祉、子育て支援、義務教育、高齢者の見守りなどは本来、行政が先導して行う。しかし、西粟倉村では、これらの事業をソーシャルビジネスとしてローカルベンチャーが担い始めている。人口が約1,400人の村内需要だけでは、事業の持続的な経営が難しいこともあり、村外を含む多拠点化も進めている。
ローカルベンチャー推進協議会では、村の資源を活用して事業を立ち上げたい起業家に対して、エーゼロ(株)が行政と連携しながらネットワークを生かして、ビジネスモデルやノウハウの提供、人材募集などの支援を行う。さらに、新たなビジネスの開発に向けて、地域にないノウハウ・知見・ファイナンスをもつ企業や大学との提携を進めている。
(つづく)
【石井 ゆかり】
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