2024年12月22日( 日 )

さらば、新自由主義~2度目の「焼け野原」から立ち上がるために(1)

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ライター 黒川 晶

「焼け野原」の光景

 2018年、日本は明治維新からちょうど150年の節目を迎えた。

 鎌倉幕府以来、実に700年近くにわたって維持してきた封建社会と訣別し、欧米先進諸国と同じ近代資本主義国家として歩むことを選んだ日本は、そのための社会的・法的基盤を整備しながら、驚異的なスピードで「殖産興業」を押し進めていった。身分制廃止や人口増によって生じた豊富で安価な労働者層にも支えられ、早くも世紀の変わり目には清・ロシアの二大国との戦争に勝利するまでの国力を蓄える。そして、条約改正、関税自主権回復に成功して国家としての独立をはたし、わずか40年あまりで列強の仲間入りをはたしたのだった。

 しかし、第一次世界大戦後に不況が始まり、さらには関東大震災(1923年)や金融恐慌(27年)、世界恐慌(29年)などの危機に見舞われるなかで、国内経済は次第に行き詰まっていく。日本はその打開策として資源供給地および市場としての海外植民地の拡大を企図するようになった。そして、これを非難する諸外国との血みどろの戦争に突入し、人的、物的、あらゆる資源を投じたのであるが、これがかえって国力を低下させる。

 そうして日本軍は各戦線で次々と敗北を重ね、しまいには国土防衛すらままならなくなった。そして、明治維新から77年目にあたる1945年、日本は資本主義国家として発展していくためのすべての基盤を失ったのである。富の源泉たる数多くの人財も、技術革新を重ねてきたインフラも、富の収集の場である海外市場も、独立国家としての主権さえも。

 それから来年でちょうど77年。日本国民はいま、当時を彷彿させる種々の光景を目撃している。全国の大都市で見られるようになった炊き出しと、そこに並ぶ人々の長蛇の列は、「配給」の光景を想起させる。深刻化する子どもの貧困と「子ども食堂」の出現には、戦争孤児の境遇を連想せずにいられない。買い占めた物品や不法に手に入れた情報を売りさばく、「転売ヤー」と呼ばれる者たちの跋扈するネットオークションは、戦後の闇市にも重なり合う。

 国のリーダーたちの姿もそうである。戦争末期の官僚らは、敗戦が確定するや、戦争犯罪の追及を逃れるため証拠隠滅に奔走し、大量の機密書類を焼却する黒煙で東京の空はいく日も暗いままだったという。我々のリーダーたちも、裏でさぞかし多くの不正を働いてきたのだろう、近年では露骨に公文書の廃棄・改竄や「黒塗り」開示を行うようになった。コロナ禍に見舞われてなお、彼らは利権の維持に腐心し、医療体制は瞬く間に崩壊。「待機」と称した放置や病院のたらい回しが常態化し、果ては「トリアージ」(命の選別)に言及されるなど、現場は野戦病院や救護所さながらの様相を呈している。

 何より、日本社会全体を覆うこの沈滞感、虚脱感。奇しくも明治維新から敗戦までと同じ年数を経て、日本人はいま、再び「焼け野原」に佇んでいるのだ。そして、それはある意味、当然の帰結ともいえる。現れ方こそ異なっているが、戦後の資本主義国の日本はたしかに、明治維新から敗戦までの77年間とよく似た道筋をたどってきたためである。

(つづく)

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