2024年12月22日( 日 )

食品スーパー大手ライフコーポレーションの清水信次会長が現役引退~驚嘆!95歳まで現役の経営トップを貫いた超がつく「怪物経営者」(1)

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 大手スーパー「ライフ」を展開する(株)ライフコーポレーションの創業者、清水信次氏の現役引退が報じられた。(株)ダイエーの創業者の(故)中内功氏、(株)イトーヨーカ堂創業者で、(株)セブン&アイホールディングスの名誉会長・伊藤雅俊氏、ジャスコ創業者で、イオン(株)名誉会長・岡田卓也氏と同じ、日本に流通革命をもたらしたスーパーの第1世代だ。同世代の創業者が現役を退くなかで、清水氏は現役の経営者であり続けた。超がつく「怪物経営者」である。

消費税反対運動を牽引して、全国にその名を轟かせた

 食品スーパー大手の(株)ライフコーポレーションは5月27日、創業者で代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)を務める清水信次氏(95)が同日付で退任し、代表権のない取締役名誉会長に就いたと発表した。高齢が理由という。岩崎高治社長(55)は続投する。

スーパーマーケット イメージ 清水氏は1956年10月に清水実業(株)(現・ライフコーポレーション)を設立して代表取締役社長に就任して以来、今日に至るまで代表取締役であり続けた。代表取締役の在任期間は64年。上場企業の経営トップの最年長で最長記録保持者だ。超がつく「怪物経営者」であるゆえんだ。

 大勲位・中曽根康弘元首相が2019年11月29日、101歳で大往生した。清水氏が全国的に名を轟かせたのは、中曽根氏と対決したことによる。

 1986年、スーパーマーケットの業界団体、日本チェーンストア協会会長に就いた清水氏は、中曽根内閣の売上税構想の反対運動の先頭に立った。中曽根氏の指名で首相に就いた竹下登氏が89年4月、消費税を導入した。新税に反対する立場で向き合った2人について、清水氏はこう語っている。

 戦場で、中曽根さんは白馬にまたがって先頭で勇ましく出ていくタイプ。竹下さんは奥に鎮座して、官僚や政治家を使ってじわりじわり攻めていくタイプでした。交渉をしていて『こりゃあ勝てないな』と思ったものです。戦後の総理のなかで、中曽根さんは天下国家の在り方を語れる数少ない方でした(『週刊朝日』2019年12月13日号)。

闇市からスタートし、バナナの輸入で利益を上げる

 清水氏は1926(大正15)年4月18日、三重県津市生まれた。大正最後の世代だ。大阪貿易学校を卒業して応召。戦後は、大阪の焼け野原の闇市からスタートした。闇市では何でも驚くほどの高値で売れた。闇市稼業は危ないのでやめた。

 50年の朝鮮戦争の勃発の知らせが転機になった。日本は米国による占領中であったが、朝鮮戦争で日本が変わる予感があった。戦争が始まった翌々日に東京行きの夜行に乗った。上野のアメ横には、大阪にはまったくないウィスキーやチューインガム、バナナ、米軍の横流し品まで何でもある。横流し品を大阪で販売しはじめ、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と直接取引して、米軍占領軍物資を販売する。

 仕入れているうちに貿易の仕事にも関わるようになり、日本パインアップル輸入協会を設立。パイナップルやバナナの輸入で利益を上げ、「パインちゃん」の異名をとる。この仕事を通じて蓮舫氏(立憲民主党代表代行)の父で台湾人バナナ貿易商の謝哲信氏と知りあい家族ぐるみの交友を深めた。

 財閥解体が解消され財閥系商社が復権してきたため、競合する貿易業から新事業での転換を図る。56年10月、清水実業(現・ライフコーポレーション)を設立。61年に大阪府豊中市で「ライフ」1号店を開設して食品スーパーを始めた。出入りしている米軍のPX(基地購買部)を見て思いついた。

(つづく)

【森村 和男】

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