演劇のチカラを痛感 わらび座ミュージカル「北斎マンガ」鑑賞記(後)
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わらび座創立70周年記念作品のミュージカル「北斎マンガ」が今年6月、福岡市内で公演された。主人公の葛飾北斎が現代社会へ投げかけたものとは?
観衆も「共創」に参画
一方、わらび座の『北斎マンガ』は、この天才絵師を何か特別な人間のようには提示しない。新妻の前で放屁するかと思えば、兄弟子や取引先にズケズケものをいうため損してばかり、友人の親切には図々しく甘えっぱなし、家では年端もいかない娘・お栄(鈴木潤子・演)と口喧嘩。つまり、古今東西を問わずどこにでもいそうな日常を生きる1人の不器用な男として描き出す。そんな男が、ふと目にとどまるこの世の被造物の美しさに驚嘆し、ありのままの姿を我が手で再現せんと、生涯もがき続けるのである。対象に注ぐそのまなざしは、あくまで人間くさく慈愛に満ち、敬虔ですらある。
『葛飾北斎伝』の序文を書いた史学者・重野安繹(1827〜1910年)は、北斎について「一生の行為、驚くべく笑ふべく、憫むべく感ずべし。豈にいわゆる人に畸にして天に畸ならざる者か」、すなわち、「北斎の一生は、驚くこと、笑うこと、憫(あわ)れむことに満ちており、人としてはいわゆる奇人だったが、天に対しては真っ当な人間であった」(北斎コレクター津山満氏による現代語訳)と評した。わらび座の提示する北斎像はこれに合致するのみならず、人々が「冷笑系」に向かいがちな(それは多くの場合、対象に真正面から向き合えない者の、自尊心を保つためのしぐさである)現代の日本社会において、シビれるほどにカッコいい。
さらに、世に送り出される傑作の数々も、わらび座の舞台では北斎の才能のみには帰されない。北斎がある時期、黄表紙などの読本挿絵に豊かな可能性を見出し、これを芸術の域に高めたことは周知の通りだが、舞台はこれに戯作者・曲亭馬琴(戎本みろ・演)との友情(喧嘩ばかりしている2人だが)を重ねる。一義的には画技の指南書であり、一般の人々にも絵本として大きな人気を博した「北斎漫画」は、押し寄せる入門者たちをいちいち指導するのが「面倒くさい」と駄々をこねる北斎に、妻のおこと(遠藤浩子・演)が提案することで生まれる。
北斎芸術の最高峰といわれる「富嶽三十六景」もまた、ここではおこととの協働の果実である。脳梗塞で倒れた夫を献身的に支えた後、あっという間にこの世を去るおこと。悲しみのあまり描く意欲を失った北斎は、絶望のなかで「あなたが見たい景色を私も見たい」という亡き妻の声を聞き、新たな創作へ向けた旅に出るのである。眼前に展開されるこうしたエピソードを追いかけながら、観衆は、人間による創造とは常に「共創」にほかならないことを思い出す。同時に、自分自身が今まさに「共創」に参画していることに思い至る。俳優たちと、そしてほかの観客たちとともに、「劇空間」というパラレルワールドの創造に参与していることに。
(了)
【黒川 晶】
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