2024年09月13日( 金 )

【読者からの投稿】「推認」は不確かで曖昧~工藤会判決から考える

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 工藤会判決についての私見です。

 弁護士や裁判官、検察官は、客観証拠に基づいて推認を行うのが仕事と言っても過言ではありません。

 事実認定をするにあたって、十分な証拠は揃っていないのが通常です。そのため、客観証拠から合理的に導かれる事実を推認するのです。

 推認とは、「すでに分かっていることをもとに推測し、ある物事が事実であるらしいと認めること」と定義されます。

 判決文などでは、〜の事実を総合考慮すると、○○という事実が推認できるという感じで推認が行われています。

 しかし、推認ほどいい加減で、不確かなものはないと考えます。

 得られる情報が十分でなければ100%正しいことはあり得ず、間違いがどうしても生じてしまうのです。いわゆる冤罪が発生するのです。

 例えば、今日は雨だから、路線バスが遅れるに違いないというのは、「雨」という情報から、「乗客が乗降するのに傘をさしたり、たたんだりするために時間がかかる」、そのため路線バスが遅れるという事実を推認します。

 一見正しいように見えますが、路線バスに乗る人数がいつもより少なかったり、たまたま道が空いていたりすることで、路線バスが遅れないことも十分にあり得ます。これを権力者側が使ってきたら冤罪が起こります。工藤会判決も、微妙な問題を抱えています。

 みんな噂話が好きですよね、芸能人誰々は、実は不倫しているのではないか?近所の誰それさんは、いつも夜遅く帰ってくるけど、実は〇〇ではないか?

 趣味で楽しむ分にはまったく問題ないと思いますが、それを超えて、人を評価したり、追い詰めたりすることに「噂話を使っては決していけない」と思っています。

 推認は不確かで曖昧なもの、噂話も同じです。

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