政治屋が目をそらす日本の「不都合な真実」に対する処方箋(前)
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前衆議院議員 緒方 林太郎 氏
現在、日本が抱える危機といえば「COVID-19(コロナウィルス)」ですが、それ以前から確実に進行して日本を蝕んでいるのが「少子化・人口減少」と「財政危機」です。この2つは密接に絡み合っています。そして、あまりに病理が深く進行し過ぎて、その解消のため今からどの程度のことができるのかについてすら不安になる所があります。政治は今、この2つの課題から目を逸らすことなく解決策を提示する義務があります。
少子化~目をそらせない喫緊の課題
この数年、少子化のスピードは急速でした。出生数が100万人を切ったのは平成28年の97.7万人。その後、94.6万人(平成29年)、91.8万人(平成30年)、86.5万人(令和元年)、84.0万人(令和2年)と恐ろしいスピードで減っています。今年の数字は80万人を大きく割り込むとされていますから、5年で概ね20万人の出生数減です。
現在の出生数が維持できたとしても、この出生数から導かれる将来人口の水準では日本の社会は確実に崩壊します。経済、財政のみならず、社会保障、地域コミュニティなどすべてが維持できません。「人口が減ったら、身の丈の応じた生き方をすればいい」という議論があります。間違ってはいませんが、その「身の丈」は極めて惨めなものとなる可能性が高いです。
これまでの取り組み
これまでの国の少子化対策はすべて失敗したと言っていいでしょう。2001年に内閣府特命担当大臣の仕組みができてから現在に至るまで20年近く、何らかのかたちで「少子化対策」を担当する大臣が置かれてきました。それらの方々が何の努力もしなかったというわけではありませんが、実際に少子化に歯止めが掛からなかったわけですから、結果として失敗であったと言って差し支えありません。
失敗した理由としてはいくつかありますが、私は「手法が間違っていた(意図的に目を背けた)」というのが一因だと思っています。私は「子育て支援」と「少子化対策」をいったん分けて考えるべきだと思います。
子どもをもつ世代に負担軽減としてさまざまな給付を行う子育て支援は社会保障・福祉の一環として重要です。現在、晩婚化や初産年齢の高齢化が少子化の原因となっているなか、若い世代に対する支援を充実させることによる安心感はとても大切です。従って、子育て支援が不十分なら将来不安から出生率に悪影響が出るでしょう。他方、子育て支援を充実すれば出生率が劇的に改善するという前提は成り立たないと見るべきです。子育て支援は出生率維持には資するものですが、出生率改善の力までをも期待するのは無理です。政治は今でも給付充実のためのメニューを並べて少子化対策だと言っていますが、結果として、本当の意味での少子化対策から目を逸らしている可能性があります。
他国の例:フランス
私はともかく出産のインセンティブ(動機付け)を高く設けることが鍵だと思います。その流れで、給付のみならず、負担においても少子化対策を推進する仕組みを検討してはどうかと思います。参考になるのが、少子化対策の進んでいるフランスの「N分のN乗税制」です。簡潔にいうと「子ども多い世帯ほど、税負担が軽くなる仕組み」です。子どもをもつインセンティブを生じさせ、また、社会全体で子どもを支えるという考え方に沿っています。フランスは19世紀以降、常に隣国ドイツと比べて少子化の傾向に苦しみ、二度の世界大戦で少子化がそのまま国力に反映されたとの反省から、第二次世界大戦直後にこの仕組みを導入しました。この「N分のN乗税制」は非常に賛否がわかれるものですが、ドイツに自国を荒廃させられ、「人口=国力」との危機感から導入されたものだと思います。
このように負担(税)において、子どもが多くなることに応じて負担を軽減して少子化解消に繋げようとする仕組みは往々にして嫌われます。私もこのようなことを言わなくて済むものなら言いたくはありません。しかし、これまでの少子化対策はすべて成果を上げなかったのであり、これまでの延長上には社会の崩壊が見えて来ます。そのようななか、これまで取り組まれなかった事、一部の方から嫌われることでもやらないと、この日本社会はゆでガエルとして朽ち果てていくとの危機感をもっています。後述する通り、財政難に苦しむ日本は給付の充実を永遠に追うことはできません(そのような国は世界のどこにもありません)。何処かで負担の配分見直しによる少子化対策を考えざるを得ないわけです。
少子化対策は政権の命運を賭けてやるべき課題です。今、菅総理はワクチン接種を進めることに必死です。手法には賛否あるでしょうが、喫緊に政策課題に一心不乱に取り組むことは大切です。あのエネルギーがぜひ少子化対策に欲しいです。
(つづく)
<プロフィール>
緒方 林太郎(おがた・りんたろう)
1973年北九州市八幡西区生まれ。福岡県立東筑高校を経て東京大学入学。94年に東京大学法学部を中途退学、外務省入省。2005年外務省退職。09年衆議院議員初当選。14年衆議院議員2期目当選。17年落選。関連記事
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