2024年11月14日( 木 )

「消費は美徳」思想のルネサンスを(中)

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 NetIB‐Newsでは、(株)武者リサーチの「ストラテジーブレティン」を掲載している。
 今回は2022年2月21日の「「消費は美徳」思想のルネサンスを~経済敗戦の根本原因、デフレ容認心理の定着~」を紹介。

指数関数的な技術と生産性の上昇を統計は捕捉できない

 この生産性上昇の果実は経済統計ではほとんど捕捉できていないので、人々は需要不足とデフレリスクのマグニチュードを軽視してしまう。たとえば写真撮影や音楽鑑賞は今や完全に無料になり、我々はほんの10年前の何倍、何十倍もの撮影活動や音楽鑑賞を楽しんでいる。しかし写真フィルムと現像の産業、音楽記録版(レコードやCD)と再生機の産業はこの世から消え相当の雇用が失われた。これを経済統計では経済活動の縮小(=価値創造の減少)ととらえるが、無限大の価格下落を使って実質化すれば、実は巨額の価値創造が起きているとの認識が正しい。そうしたデジタル、ネット、AI化による産業と雇用の破壊(=巨額の目に見えない価値創造)がいたるところで起きている。筆者の親しい零細調査会社は昨年英文レポートの作成を無料の自動翻訳に切り替え、年間数百万円の翻訳コストを削減したが、それなどは、卑近な例である。

 半導体の集積度の高まりを示すムーアの法則は2年で2倍(=10年で32倍、20年で1000倍、30年で33000倍)という指数関数的変化を続けているが、通信伝送容量の高速大容量化も同様に指数関数的進化を遂げている。このペースでコストが低下しているのであるから、その実用化による生産性の向上は想像を絶するものがあるというべきで、それによってもたらされる便益の増加は計り知れない。ということは、統計で認識している以上の生産性の上昇(=供給力の増大)とデフレ圧力が、今日の世界経済を覆っているということである。

図表2: 半導体集積度の高まり (対数目盛)

資本主義の進化をもたらした「消費は美徳」思想

 では、デフレにストップをかけるにはどうしたらよいのか。それは、この著しい供給力の増大に対応した新たな需要をいかに生み出すか、にかかっている。望ましいのは生活水準が飛躍的に向上し、消費意欲が活発になって需要が喚起されることである。そうでなければ過剰生産のために全世界が壊滅的な大不況に陥る。生産性が2倍になったら、生活水準を2倍に引き上げて需要を喚起する方策を取るのだ。仮に昨年は、年間に100日働いて100万円の給与を得て100万円の生活をしたとしたら、今年は同じだけ働いて200万円の賃金を得て、200万の生活をするようにしないとバランスが取れないのである。

 1800年には、アメリカの総人口に占める農業人口は74%だった。それが2000年にはたった2%にまで低下した。200年前は74人が農業生産に従事して100人分の食料を供給していたのだが、いまはたった2人ですむ。1人で1.35人分から、今は50人分つくれるまで農業生産性が上昇したのである。とすると、それまで農業に従事していた72人は失業ということになる。では彼らはどこに行ったのか?農業以外の新しい仕事に就いたのである。それがどんな仕事か、現在の私たちの職業を見ればよくわかる。今日の職業の大半は、200年前に存在しなかったものである。それは「人間の欲望を充足する手段としての産業」、言い換えれば人々の生活を豊かにする新しい産業が生まれた。高度大量消費を可能にするさまざまな工業製品、それを支える石油、電力などのエネルギー関連、増加した所得を処理する金融業、外食、レジャー、スポーツ、エンターテインメント、旅行、ファッション、近代教育、近代医療などの分野で、新しい雇用が生まれた。

図表3: 米国農業生産性の向上と雇用の減少

図表4: 米国の産業別GDP構成比推移

 資本主義経済は、こうした新しいよろこび、欲求の充足のパターンを開発して発展してきた。新しく社会的な付加価値を産むビジネスが開発されたことで、余剰人員や余剰資本がスムーズに吸収されてきたのである。かつての王侯貴族のレベルの生活水準を大半の市民が謳歌できていることで、デフレが阻止され、経済成長が続いてきたのである。マルクスの予言『労働の搾取による資本の過剰蓄積と利潤率低下→資本主義崩壊』という暗い将来予想は完全に外れたが、それは人権を尊重する民主主義の下で所得が再配分され、「消費は美徳」思想が勝利したからである。

米国で共有されている「消費は美徳」思想と、逆の日本

 この歴史的事実を認識しない人々が「貯蓄は美徳だ」などと叫ぶが、技術はどんどん発展していくので、贅沢(=生活水準の向上)をしなかったら失業者が増えるだけである。「消費は美徳」という単純明快な事実を唱える学者やエコノミストは日本には少ないが、米国ではそれは常識である。米国の政策の第一義的目的は、老後や将来不安の解消でも財政健全化でも、格差の縮小でもなく、ひとえに生活水準の向上にある。

 日本ではバブル崩壊以降は、「成長しなくてもいいのだ」という清貧の思想が一世を風靡した。しかし、一見ストイックな、人々の倫理観に訴えるこの思想は、経済史的見地から見れば誤りだったのは明らかである。日本は何としてもこの後ろ向きの経済心理を払しょくしなければならない。

FRBは「インフレタカ派に変わったのか」

 付言すると、米国の経済金融理論にしても、経済金融政策にしても、「消費は美徳」を前提的価値観として形成されている。それを「貯蓄が美徳」の価値観を持つ日本の学者や官僚が解釈しても、的外れになるのは当然であろう。

 米国ではコロナパンデミック対応の緊急避難的超金融緩和が終わり、長短金利の急上昇と株価下落が起きている。FRBはインフレを軽視し引き締めに遅れてしまった、遅れを取り戻すために急激な利上げは不可避で、深刻な株価調整がおきるとの、タカ派的観測も浮上し、日本にはその支持者が多い。

 FRBは「インフレタカ派に変わったのか」それとも「ハト派のままなのか」は、今年の投資戦略を分かつ問題である。その答えは米国経済政策の指令塔が「消費は美徳」の価値観をもっていると認識するかどうかであろう。

(つづく)

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