【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(10)】恐怖政治篇4:朔医学部長の専横がもたらしたもの――福大医学部の地盤沈下と不信感の蔓延
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「先輩パワハラ」構造を強化し、かつ自分の地位を脅かす可能性のある優秀な人材を不当なやり方で排除することで、福大医学部における己れの覇権を確立してきた医学部長時代の朔学長。「学長になる」という野望に取り憑かれたかれのやり方が、福大医学部にどれほどの破壊力を振るってきたか、何より、福大関係者たちの心をどれほど踏みにじったか、関係者の証言を交えつつお伝えする。
“優秀な人材を、とくに九大出身者を書類審査で落とす“。朔医学部長のかくなる倒錯に巻き込まれ、そのような基準で新任教授を選んだと思しき医学科の講座・部門は、把握できただけでも7つを数える。とりわけ「九大出身者は取らない」というポリシーはあからさまで、実際、ある講座では所属教員がまさにそうした「密約」を交わしていた。
つまり朔医学部長は、はなから「九大出身者は取らない」と決めているのに、同大に従来どおり候補者推薦の依頼文を送り続けていたことになる。九大出身の応募者はここでは「出来レース」(H氏ほか)のアリバイづくりに利用されたにほかならない。膨大な「研究業績」「臨床実績」「教育実績」の3種の応募書類の作成に、貴重な時間と労力を無駄に費やさせられて。
手塩にかけて育てた優秀な研究者がこんな扱いをされては、推薦者の九大医学部が激怒するのは当然だ。「『こんなことばかりされるようでは、福大にはもう、優れた人材を紹介することはできません』と言われました」。福岡地区の大学医学部・医療機関の協力体制構築に尽力してきたある教授は、暗い面持ちでそう語りつつ、地域医学界の連携にヒビが入ったこと、その元凶として福大医学部が孤立することに深い懸念を示す。
教授になった人にしても、内部事情に通じていくなかで、自分ももしかしてこんなプロセスでポストを得たのだろうかといたたまれなくなるに違いない。同時に、自分の全キャリアが冒涜されたような気持ちがするのではないか。ある関係者が語ってくれたエピソードは、それをよく物語っている。
「ある教授は実直で研究熱心、優秀な研究者の評価も高い人なんですが、朔さんの例の人事介入で白羽の矢が立ち、教授に就任することになった。本人としては医局をまとめるような職務は不得手とのことで、教授に選ばれたときは、それはもう晴天の霹靂という感じで、申し訳ない申し訳ないと…。他大に移籍した先輩教授たちに、医局の運営についてなど、今でも何かと助言を仰いでいると聞いています。」
なにより、かれの工作のおかげで福大医学部は、すっかり「三流以下認定」(A氏ほか)の憂き目に遭っているようだ。「出来レースに加担させられた挙句、書類審査で落とされた候補者は、ガッカリするやら悔しいやら、そりゃあそのときは可哀想ですよ。でも、大学の名をかけて推薦されるほどの実力者ですから、もっと公正に選んでくれる、レベルの高いところにすぐ就職が決まります。福大に蹴られたところでなんの痛手もありません」(ある大学の医学部関係者)。
そんなふうにいわれることで、真面目に職務に取り組む福大医学部スタッフがどれだけ迷惑を被ることか。実際「朔医学部長体制になって、福大医学部は明らかに競争力が低下した」との声もある(F氏ほか)。他大医学部のポスト公募に推薦者を送ったさい、研究業績も臨床力も申し分のない優秀な人材であったにもかかわらず、「おたくの推薦は信用できないから」と、突き返されたこともあったとか。
職場がこんな有り様でスタッフの士気が高まるわけもない。世の中こんなもんだ、“フェア“に評価されるなんて幻想に過ぎないんだというような無力感・厭世観が教員の間に蔓延すれば、学生たちもその気配を敏感に察知しよう。そういえば、福大医学部の医師国家試験合格率は従来、全国平均からもほかの医学部を有する総合大学のそれに比べても低いことが指摘されてきたが、朔医学部長体制時(2013年〜2019年)にますます落ち込んだことをデータは物語っている。
(各大学事業報告書等に基づき筆者作成)
医学部長には医学部をしかるべき研究教育機関に育て上げる、少なくともそのように努力する義務がある。それはまた、日本で最も高額の部類に入る授業料(6年間で約4,000万円)を払ってわが子を託す、父兄に対する誠意でもある。だが、朔福大医学部長にはそんな使命感など微塵もなかったようだ。「『福大生の親は金持ちだからいいんだ』というようなことを、口癖のように言っていたという噂もある」(B氏ほか)。かれにとって福大医学部は、もはやディプロマ・ミル(学位商法)であって構わないのだろう。そんなことになれば、全スタッフや卒業生はもちろん、ご自慢の学生時代の“偉業“にも傷がつくだろうに。
そして、こうして数々の被害をもたらした朔医学部長の「悪行」(A氏ほか多数)は、すべて4年に1度の「学長選挙」を見据えたものだったと、証言者たちは口をそろえて指摘する。
福大において学長は、(1)「大学協議会」のメンバーおよび各学部教授会選出の「評議員」でつくる「学長候補者推薦委員会」の組織と、これによる学長候補者5名の選出→(2)大学各セクションから選出された「選挙人」(9学部から各15名ずつの135名、病院部門および事務局から各15名ずつの30名、附属学校の校長2名、法科大学院から1名の、合計168名)による投票と、「学長最終候補者」の決定→(3)一定の勤続年数要件を満たす教職員による信任投票、という流れで選任される。
ここでは、学長になりたい者はまずは自分の学部の15票を盤石にする必要がある。朔教授が学長選に出馬したのは、「問題行動がエスカレートした」という時期に重なる2015年と2019年の2度。あのようになりふり構わず組織の破壊も厭わず医学部教授をイエスマンで固めようとしたのも、この2回がかれの最後のチャンスだった── 1952年生まれの朔教授は、2019年の時点で70歳の定年を目前に控えていた──からに相違ない。
医学部以外のセクションでも票固めをしておかねばならないが、かれはここでも“福大卒の盟主“路線でやったようだ。福大全体の同窓会「有信会」および医学部同窓会の「烏帽子会」の幹部らが抱き込まれ、盛んに「福大OB初の学長を!」のキャンペーンを繰り広げたと聞く。見逃してはならないのは、朔氏がこうした福大OBたちのサポートさえも、踏みにじるようなことをしてきた形跡があることだ。
1度目の学長選(15年)で、かれの得票数は「前代未聞の0票」だったという。つまり、医学部の選挙人15名と病院部門の15名全員が朔候補に投票しなかったばかりか、そのなかに入っていた朔氏すら、自分に投票しなかったのだ。何人もの関係者の話を総合するに、票よみで今回は勝てないと判断した朔教授が、別のある候補者と取り引きしたというのが真相らしい。“今回はあなたを勝たせてあげる(=私の息のかかった30票を全部あげる)。その代わり、私を副学長に指名してほしい“と。このときはその取引相手も敗れたために、かれの目論見はついえたが、「医学部長の得票数ゼロ」によって学内における医学部および病院の威信を大きく低下させたのみならず、”福大医学部OB初の学長”に期待を寄せた人々の骨折りも無下にしたわけである……。しかも、19年に念願の学長就任をはたしたのちは、これらの“功労者“たちを次々切り捨て始めたとの情報もある。
朔教授の“必ずや将来自分が学長になる“との迷夢は、こうして数多くの福大医学部関係者を踏み台にしながら達成された。だが、取材が進むなかで、福大医学部がそんな低劣な野心の犠牲となることをよしとせず、朔教授の不当な介入に対し、できる範囲で抵抗してきた教職員も少なからずいたことも判明した。そのなかには、卓越した研究・教育実績を有し、福大医学部へも多大な貢献をなしたが、それゆえにこそ卑劣な攻撃と執拗な報復に晒された人たちもいる。次回はその卑劣さ、執拗さの実態を皆さまに知っていただく。
(つづく)
【特別取材班】
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