2024年10月02日( 水 )

ヨーロッパの終焉

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

  かつては世界の中心だったヨーロッパ。航海術の発達による新大陸の発見、17世紀の科学革命、それに続く産業革命。これらによって世界の覇者となり、19世紀には全世界を植民地化する勢いだった。そういうわけだから、東アジアの一隅にあった日本もいち早く西欧化を目指し、何とか我が身を守ろうとする。その結果がアジア諸国への侵出、挙句の果ては太平洋戦争における大敗北となった。日本の近代とは、煎じ詰めればヨーロッパ文明の受容史なのである。

 いつまでも栄華を誇るかに見えたヨーロッパだが、現在はアメリカが世界の覇者となった。20世紀になって2つの大戦を経験し、大いに疲弊したのである。彼らの栄華は科学技術の発達によるものだったが、その科学技術が負の面をもつことを思い知った彼らは、自らの文明に自信をもてなくなったのである。

 そのことはヨーロッパの中心とされてきたフランスに端的に表れている。ヨーロッパ史を知らない人には、どうしてフランスがヨーロッパの中心だったのかがわかりにくいかもしれないが、フランスが古代ギリシャ=ローマの文明を最もよく継承し、しかも近代化の普遍的モデルをつくった国であることは、ヨーロッパでは誰もが認めるところなのだ。たとえば20世紀前半まで、フランス語はヨーロッパの公用語だったのである。

ヨーロッパ イメージ    オリンピック競技大会といえば、つい最近東京で行われたが、そこで採用されている公用語が英語とフランス語であることに気づいた人はいるだろうか。どうしてそうなるのかといえば、そもそもオリンピック競技自体がフランスの発案によるものだからだ。国連の前身たる国際連盟を考えてもいい。これの発案者もフランスなのである。フランスは世界をリードする国として君臨していたのだ。

 もっと重要なのは、現代世界の基本的価値観である基本的人権、言論と思想と信教の自由、社会的平等といった思想を生み出したのもフランスである。フランスは現代世界の価値観の生みの親なのだ。多くの日本人はそれを体現しているのはアメリカだと思っているだろうが、そもそもアメリカの建国精神は18世紀のフランス思想に依拠しているのだ。つまり、フランスの文明はアメリカという担い手によって現在もまだ生き残り、私たちの日常にまで入り込んでいるのである。

 問題は、それならどうして、今のフランスは国家としてかくも影響力を失ってしまったのか、ということである。これについては以下のように答えることができる。

 第二次大戦における威信喪失である。フランスが18世紀以来誇ってきた自由・平等・博愛の価値観はあっけなくヒトラーの全体主義に押しつぶされ、その価値観を回復するにはアメリカの援助を必要としたのである。アメリカがなければフランスは存続し得ない。心のなかではアメリカは幼稚な成金主義の国と思っていても、今やアメリカの天下だと認めざるを得なくなったのだ。

 ヨーロッパ文明は科学技術の文明であるが、そのなかでフランスがほかの欧米諸国より遅れをとっているということはない。すぐれた数学者や科学者は今も輩出されているのである。にもかかわらず、かつてはヨーロッパの公用語であったフランス語は英語にとって代わられ、経済力では隣国ドイツに圧倒されてしまった。しかも、ヨーロッパ全体がNATOの名の下にアメリカの支配下に入っているとなれば、もはやフランスの出る幕はないのである。

 フランスの運命はヨーロッパの多くの国が共有しているのではないか?その通りである。ただしイギリスは例外で、この国は新時代に対応しながら、何とか伝統を保持しているのである。彼らの言語が英語であることは大きい。それゆえアメリカと渡り合い、巧みに連携できるのである。ヨーロッパのほかの国と違って理論に振り回されず、現実主義に徹している点も、この国をヨーロッパ病から救っている。ブレクジット(ヨーロッパ連合からの離脱)は必然の結果だったのである。

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 現代のヨーロッパを悩ませる最大の問題はプーチンのロシアであると思う人も多いだろうが、実はもっと深刻な問題がかなり前から存在する。移民問題である。アメリカやカナダと違って、ヨーロッパは移民が社会を構築してきたわけではない。あとを絶たない旧植民地からの移民の群れをいかにして既存の社会構造のなかに按配するか、ヨーロッパはこの問題に悩んできたのである。

 自由・平等・博愛の原則があるフランスは、とくにこの問題で躓いている。原則を曲げればフランスはフランスでなくなってしまうが、フランス人の多くは既存の社会構造から抜け出せず、移民との共存に困難を感じているのだ。そうした状況が移民を圧迫し、そこから幾多の犯罪が生まれる。こうして社会の弱体化が進むのである。

 同じ問題はドイツもイギリスも抱えている。しかし、フランスよりはうまくやっているように見える。無論これも程度の問題で、ヨーロッパの先行きは決して明るくない。どうやら人類全体が、かつてそうしたように、生存のための大移動を開始しているのだ。

 そのような時代、いつまでも古いシステムにしがみつくことは許されない。これからの地球、アメリカやカナダなどの移民大国が栄えることになるだろう。そうなると、日本はどうなるのか?考えられる道は2つ。1つは世界の潮流から孤立し、文明の圏外にとどまって静かに自然を満喫し続ける道。もう1つは文明の潮流に巻き込まれ、解体されて世界の一部となる道である。後者の場合、日本はもちろん日本でなくなるが、これもまた1つの道なのである。


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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