冤罪福岡事件、西・元死刑囚の日記見つかる
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占領下の1947年に福岡市で中国人ら2人の商人が殺された福岡事件で、強盗殺人の主犯として死刑になった西武雄・元死刑囚の日記6冊が新たに見つかった。各地で開かれた「福岡事件再審キャンペーン」の遺品展会場で、その一部が公開された。26日には、参議院議員会館で、「国際シンポジウム『福岡事件』から考える死刑と再審」と遺品展が同時開催された。
西さんは1975年6月17日に死刑が執行されるまで、一貫して無実を主張し続けていた。28年間の獄中で、俳句を詠み、そのときどきの心情を綴った「獄中句日記 死なぬ死刑囚」と1冊の日記が残されていたが、その他の日記類はすべて焼却されたと思われてきた。西さんの雪冤のために再審運動を続けてきた故・古川泰龍氏(熊本県玉名市、生命山シュバイツァー寺住職)の遺品を整理するなかで、発見された。古川泰龍氏が西さんの遺品を引き取った際のリストにも記載がなかった。
発見された日記は、1960年から74年の約14年間のもの。日記には、「私はこのまま処刑になればかならず怨霊となって末代までたたってやる決心でいる。そのことばかりを心の中で養っている」(1971年11月)など、無念さが生々しく記されている。
西さんは、獄中で朝4時30分に起床し、朝早いうちから身を清め、写経や仏画を書いて過ごした。死刑が執行される場合、当日まで知らされないまま朝9時過ぎに刑務官が迎えに来るため、その前のやり残すことがないように朝早くから写経し仏画を書き、「きょうは刑の執行がなかった」ことを確かめ、「無実を晴らすまで死なぬ」と、日々を過ごした様子がうかがえる。再審運動を続けている古川龍樹氏(泰龍氏の長男で、現住職)は、「今回発見された日記から、西さんが写経や仏画を書いていたのは、“けっして世間に詫びるために、罪を償うつもりで書いているのではない。誰も聞いてくれない思いを仏様に聞いてもらいたい思いで書いている”ことがあらためてわかった」と話している。
西さんの写経をめぐっては、冤罪を否定する側から「罪を償うために行っていた」という意見があったが、冤罪を晴らすためだったことが本人の記述からも明らかになった。
今回見つかった日記には、「仏さま、私を見て下さい。私のことはいつ解決するのでしょうか。仏はみてござる。そう思って一切を頼みながら新年を迎える」の記載もある。
すでに存在の知られていた日記の1975年6月17日(死刑執行の日)の欄は空欄で終わっている。東京や福岡市で開かれたシンポジウムでは、米国コネチカット州立大学助教授のジョージ・ケイン氏が講演し、「日本でも米国でも冤罪の構図は同じだ。西さんが苦しみ、家族が苦しみ、そのことによって我々が苦しんでいる。西さんの出来事は、自分にもふりかかると理解し、福岡事件のメッセージを引き継がないといけない」と呼びかけた。
【山本 弘之】
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