2024年11月23日( 土 )

サロン幸福亭「ぐるり」の人たち(後)

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大さんのシニアリポート第34回

gururi3 山谷信雄さんは亭主と同い年である。大病を患い生死を彷徨ったあげく生還した。胃癌、動脈狭窄症、心臓弁膜症、狭心症、糖尿病を持つ。「病気の総合デパート」と本人はいう。若いときに貿易業を派手に営み、大儲けした。「毎日、段ボールに入りきらないほどの一万円札」「銀行屋が後をつけてきた」「妻を7人も代えた」「もててもてて困った」「一流企業の社長が頭を下げてやってきた」というのが口癖。サロンに来ると、一歩も動こうとしない。
 「女は自分にかしずくもの」というのが彼の持論。来亭する高齢女性が市販の紅茶をコップに注ぎ、うやうやしく差し出す。それを当然のこととして受け取り、うまそうに飲み干す。その様子を面白そうに見守る来亭者たち。偉そうにうそぶく仕草が可愛らしく、また滑稽だと来亭者がいう。
 ここでは「過去を詮索しない」という暗黙の了解がある。だから、嘘も言い放題だ。「都内に1,000坪の土地を持つ」「家に4,000万円の現金がある」「子どもは隠し子を含めて5人」「別れた女には家と金を支払い、円満解決」。誇大なほど話は弾むものだ。憎めないから、大ぼらも許される。

 山谷信雄さんが5月末に逝った。来亭する常連の誰もが悲しんだ。偲ぶ会を開き、色紙と生前の元気な山谷さんの写真を妻に届けた。涙を拭きながら、「あの人の話は、話半分に聞いてくださいとお願いしたのですが…」と聞いてきたので、「みなさん、わかっていますよ。でも、話が面白いので、自然と引き込まれていったようです。みんなに愛されていましたよ」と答えた。彼女は泣き崩れた。

danti この欄に時々登場する香川涼子さん。認知症を自認する彼女は85歳になった。症状には波があり、調子が悪い日には、サロンの場所を失念する。一定時間内に顔を見せないときには、常連の誰かが迎えに行くことにしている。症状の悪化にはいくつかの兆候(理由)が見られる。一番は旅行。極端な場所の移動は本人を不安にさせ、そのストレスから逃避するために、呆けに逃げ込むのだろう。一週間もすれば再び元気になる。香川さんの目下の仕事は、施設への入所を執拗に迫る娘たちとのバトルに打ち勝つことだ。「入所してもいいわよ。でも、すぐ出てきちゃうから」とうそぶく。この撃退法は亭主が授けた。敵を退けた翌日には、得意げにサロンの扉を開ける。香川さんは恵まれている方だ。2年前に離婚し、身寄りのない楠忠明さん。「いつ迎えが来てもおかしくない」。ステージ3の肺癌を患う83歳の男性にかける言葉が見つからない。

 ピタリと来亭しなくなった東堂貴子さんはパチンコに夢中になりギャンブル依存症と診断されたという噂だ。88歳になる有川冬三郎さんは、常連の倉本美代子さんに執心し、どうやら異常なつきまといを繰り返していると聞く。倉本さんは、「ストーカーで訴えてやる」と息巻く。今日も「サロン幸福亭ぐるり」には、様々な事情を抱え、ここまで生きてきた人たちが顔を見せる。

(了)

<プロフィール>
ooyamasi_p大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 

(34・前)

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