2024年11月23日( 土 )

「宝くじの神様」と呼ばれた男(4)

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大さんのシニアリポート第118回

 2022年の「年末ジャンボ宝くじ」は前後賞合わせて10億円だったそうだ。「夢を求めて」今年も宝くじの売り場で買い求めた人も多いだろう。この宝くじ、たった1人のバンカーが考案したということをご存じだろうか。今回はシニア問題を少し脇に置き、「宝くじの神様と呼ばれた男」の話を4回に分けて報告する。

片岡一久の決断力と度胸

 「勝札」の売り捌きは百貨店組合、全国煙草組合、鉄道弘済会、新聞共同即売組合などの組織と個人販売だった。「第一回宝くじ」ではその組織が崩壊して期待できない。終戦から3日後の8月18日、「光は新宿より!」をキャッチコピーに、都内の主要紙に載った広告に人々の目が釘付けになった。日本最大のテキ屋、尾津喜之助の広告だ。戦争直後の路上を占拠し、自由に商売ができたのはテキ屋ばかりではなく、「解放国民」と呼ばれた在日朝鮮人、中国人などが一斉に解放され、旧軍部が所有していた物資を略奪して路上で販売。露天家業のテキ屋を始め、「シマ」というテリトリーを荒らされた博徒、愚連隊、ヤクザたちアウトローが「解放国民」と対峙した。

 宝くじ販売は大勢人が集まるところが最適である。現在も宝くじ販売の多くは主要駅頭や繁華街などである。しかし、そこには戦前存在していなかった闇市が出現していた。とても宝くじを販売できる状況ではない。しかし片岡は密かに新宿の尾津や、池袋の関口愛治などの主要な親分たちと話をつけたのだ。

 実際に動いたのは行員たちで、間和男など片岡の同僚だった元勧銀行員、池袋の元テキ屋たちも証言してくれた。都内だけではなく、主要な地方都市にも出かけて地元の親分衆とも話をつけた。片岡一久の長男秀統(一敬を改名)は、「名古屋でのこと。教えてもいないのに、名古屋の有力な親分衆が駅に父を出迎え、父は居並ぶ親分衆の間を掻き分けるようにして歩いたといいます。父のことですから、堂々と胸を張って歩いたんでしょう。俺が宝くじの世話をしてやったからだといっていました」と証言した。

 販売員のなかには学生や戦争未亡人たちも含まれていた。池袋西口で売り捌いた女性は、「とくに身の危険を感じるようなことはありませんでした」と述べている。主要駅頭での販売を可能にしたのは片岡和久の決断力と度胸だろう。銀行員にはあるまじき行動が、結果として戦後日本の復興の一翼を担い、併せて勧銀を救うことになったのだ。

片岡のアイデアは今でも受け継がれている

「クローバーくじ」のポスター
「クローバーくじ」のポスター

    トンチの「いっきゅうさん」は、矢継ぎ早に「新宝くじ」を考案し発行した。とくに「即決くじ」(その場であたりが判明する)には力を入れた。「三角くじ」「野球くじ」「相撲くじ」「クローバーくじ」「競馬くじ」「劇場くじ」「鳩くじ」「三色くじ」「七福くじ」「宝券」など。今も「Scratch」として受け継がれている。人気の「NUMBERS」「LOTO」なども片岡のアイデアから生まれたものだ。

野球くじ
野球くじ

    銀行員としての片岡は、福井をはじめ、名古屋、岡崎、五反田支店を渡り歩き、昭和34年11月、念願だった勧銀「宝くじ部長」に就任した。早速、部の大改革を実行する。コンセプトは「事務の合理化」である。まず男子部員の半数を人事部に返上した。執務時間の遵守をはかり、就労時間内ですべての事務を処理。「生理的な排水作業」(トイレ)以外、席を立つことの禁止。仕事の内容をスケジュール化して3カ月先の仕事内容を図表化。仕事が終了不可能と判断した部員の机に赤い旗を立てさせ、手の空いた部員を緊急増員。残業ゼロ。

相撲くじ
相撲くじ

    商標(宝くじ券)を同一化(同じ大きさ)、製作や発送も極力簡略化して運送代、倉庫代を浮かせた。商標のデザインコンペ、「ミス宝くじ」(後にミス・ドリームと改名。柏木由紀子、鮎川いづみなど)を発掘。「宝くじ新星歌手」(浜丈二、加賀城みゆき、五木ひろしなど)の誕生。日劇前に「宝くじチャンスセンター」を開設。「一番窓口で高額当選者激増」を演出した。「連番」と「バラ」を考案。「バラ」でも必ず「末等当選」する方法を編み出したのも片岡である。

競馬くじ
競馬くじ

    しかし念願だった頭取には就くことはできなかった。宝くじは時代とともに銀行の本線業務から外されていた。銀行員として異端児ゆえに勧銀を救うことができたが、その異端児さが逆に昇進の道を阻んだのだ。「宝くじはギャンブルだ」と国会で問題視されたことがあった。片岡は「正当な手段によって、社会的な弊害をともなわずに自分の人生が変えられる機会があるということは、それがないのと比べますと、大変な違いだと思うのです。そこに宝くじの〝存在〟があると思うのです」という詭弁を弄して危機を回避させた。これが片岡の真骨頂なのである。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第118回・3)
(第119回・前)

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