2024年11月24日( 日 )

阿久根市「市民交流センター建設計画」にみる公共建築のあり方

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 先日NETIBで報じた阿久根市の「市民交流センター建設計画」について、旧建設省で赤坂迎賓館改修工事の現場トップを務めるなどした経験を持つA氏が、現在開会中の阿久根市議会第3回定例会の総務文教委員会で参考人招致を受けた。
 当初予算25億円から現時点で37億円に膨れ上がった同計画。ようやく図面や設計図の情報開示を受けたA氏は、「率直に言ってデタラメ」と計画全体について語った。A氏の意見は次のようなものだ。

 ―そもそも提示された予算のなかでまとめるのが建築の基本です。予算増額にあたって発注者側が検討段階を踏んでいない。というのは発注者側、つまり市側に建築の専門家がおらず、設計者に提示されたものを検討できる者がいないからです。見積料はこの程度でよいか、民法上の契約料はこれくらいか、と分かる人が誰もいない。
 実際、設計図をみると、阿久根市民の生活レベル、文化レベルといった実情に全くふさわしくないものでした。高さ8メートルものガラス張りの建築物はまるで東京の百貨店のよう。掃除などメンテナンスも大変ですし、ガラスですからヒートロスも大きく、それを上回る空調設備にしなければならないという、見てくれ優先で機能が無視されたような状態です。そのような建築物は建築家の夢に過ぎず、経済的な観点からして公共物として全くふさわしくない。

 A氏はまた、「静的空間」の図書館と、「動的空間」であるホールが併設される点なども指摘した。繰り返すのは、「建築の基本に沿うこと」、そして「市民の現状に合わせること」だ。

 ―市民の生活、文化レベルに合わせるというのは卑下する見方でもなんでもなく、そこからかけ離れたものをつくっても市民から利用されないんです。生活のなかで異質な存在として誰も寄り付かない。「人間の生活になじむ」という建築の基本から全くかけ離れています。
 一言でいえば、タイミングがよくない。いまの市民会館はボロボロで、建て替えの必要はあると思いますが、阿久根市は財政難。私は、こじんまりとした市民会館でいいと思います。それよりも市民みんなの暮らしを豊かにすることに重点を置くべきではないのでしょうか。

 A氏が委員会の場で強調したのは「もう少し、市民の声を聞く機会を」ということだったという。
 市は、市営住宅の補修作業に入ったが、市民交流センターについては「現状の(計画の)ままいきたい」という思いの方が強いようだ。しかし、建築のプロから指摘を受けた以上、これを無視して計画を進めるわけにはいくまい。
 参考人招致にあたってはテレビ局も取材に入り、14日夜にその模様が放送されたという。実情を知った市民がどう動くのか、注目である。

 

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