2024年12月23日( 月 )

経済小説『落日』(12)誤算2

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谺 丈二 著

 大手企業の支店経済都市ともいわれるF市だったが一方では地場の企業でつくる親睦会や県下の経済団体を結んだ連絡会があり、それぞれが地域振興という旗のもと自尊と利権を支え合っていた。

 そんな地元団体の1つに銀行、電力、鉄道など地元有力企業8社で構成される八社会という組織があった。西総銀もそのなかの1社だった。

 地場企業をリードするメンバー企業のトップなら、会頭の資格は十分である。しかし、いくら名誉職とはいっても地域には地域の都合がある。とくに地元商工業者の集まりである会議所は、コンサバティブな体質が顕著だった。会頭になるには8社会こぞっての推薦はもちろん、中小規模の会員企業の支持も欠かせない。当時のF市では市長も地元出身の官僚OBだった。会議所の会頭もごく一時期の例外を除いて歴代地元出身の人間がその座についてきた。

 東京生まれの加藤はもちろん地元出身ではない。しかし、東京というのは地方としては無色だった。他の都市の出身者が第二の故郷と口にすると白々しく響きもするが、東京ならその心配もない。この無色と大蔵省局長OBという条件を重ねれば、その資格を云々されることもないはずだ。2人の娘はとうに嫁いでいる。地元に居を構え、妻を呼び寄せればすべて片がつく。加藤の意を受けて永木は公私の別なく、あらゆる組織や個人に加藤を売り込んだ。

 西日本総合銀行にきて2年、地元政財界との付き合いを深めながら、加藤は石川に代わり、頭取の座に就いた。それに合わせて杉本は専務に昇進した。杉本の昇進は犬飼にとっては計算通りの人事だった。しかし、ここで計算外のことが同時に起こった。あろうことか永木が加藤の指名で取締役に昇進したのである。しかも発表された新役員の名簿には井坂の名前はなかった。殺したはずのライバルが生き返り、肝心の本命が沈んでしまったのだ。

 人事発令を見て意気消沈の犬飼の前で井坂は鷹揚に苦く笑っただけだった。しかし、井坂の役員就任を信じていた犬飼にとっては笑いごとではなかった。計算違いは許されない。井坂の停滞はそのまま自分の停滞を意味する。サバイバルゲームにルールはない。井坂の対抗馬は何としてでも消さなければならない。

 数カ月後、加藤に永木の問題行状を知らせる投書と録音テープが届いた。テープには加藤をうまくたらしこんだということや、加藤のおかげで交際費は使い放題といったことを上機嫌でしゃべる永木の声が録音されていた。

 犬飼が自派の部下を使って半ばだまし討ち的にしゃべらせたテープだった。より加藤の怒りが増すように、テープの内容は一部編集が加えられていた。

「手を打ちました。何らかの処置が下るはずです」

 犬飼は自分がしたことを井坂に報告した。もちろん、事後了解である。井坂は黙ってうなずいた。自分が上に行かなければ部下も上に行けない。派閥力学の常識であった。入行年次と出身大学で不利な自分が出世するためにはたまの荒療治も仕方がない。

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「君か黒幕は。姑息な手段はいただけないね」

 井坂が加藤からそう耳打ちされたのは、犬飼から報告を受けた数日後の融資先企業の創立記念パーティーの会場でのことだった。

「何のことでしょう?」

 怪訝を絵に描いたようにとぼけた井坂とそれ以上会話を交わすことなく、加藤は無表情で井坂のそばを離れた。それは加藤との決定的なこじれを意味していた。加藤がどうしてテープの出もとを井坂と判断したかはわからなかった。おそらく、加藤なりの推測で井坂が関わっていると判断したに違いなかった。

「しかたがない」

 いわゆる波長が合わないということだろう、と井坂は思った。どんな有能な人間でも自分の腹の虫をコントロールするのは容易ではない。もちろん相手のそれも同じである。しかも相手は頭取だった。井坂からは手の打ちようがない。

 焦って修復しようとすれば齟齬の度はさらに大きくなる。残された手段は時間の経過しかなかった。

「永木の件だが、頭取が感づいたよ」

 レセプションから帰ると井坂は犬飼を呼んで言った。

「まさか・・」

 犬飼が息をのんだ。

「そのまさかだ」
「申し訳ありません。専務にも影響がおよびますか?」

 井坂を通して杉本に加藤の怒りが行けば厄介この上ないことになる。

「おそらくそれはないだろう。頭取だって生え抜き実力者の専務とあえてことを構えるほど単純じゃないだろうからな」
「申し訳ありません」

 犬飼はさらに身を縮めて頭を下げた。

「この件は気にするな。今後、頭取は自然に永木と距離を置くようになるだろう」

 井坂の読み通り、永木は間もなく、系列ノンバンクのトップとしての辞令が出た。普通なら副頭取が上がりで就くポストだった。

 井坂の言ったようにこの事件はその後ほかに波及することはなかった。犬飼も井坂も従来通り忙しい日々に戻った。

(つづく)

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