経済小説『落日』(27)スケープゴート1
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谺 丈二 著
井坂が社長に就任して2期目の半ばを過ぎたがその意に反して、朱雀屋の業績は相変わらず悪化を重ねていた。
前社長の稲川広太郎は井坂が社長になるとその後半年間、会長を務めた後、体調不良を理由に朱雀屋を離れた。だが名誉会長の朱雀剛三は相変わらずエネルギッシュに店を回り続けていた。業績不振に加えて、朱雀の隠然とした力とその存在感があちこちに影響しているという疑心で井坂の胸は重かった。
役員会では相変わらず朱雀子飼いの役員が必要以上に朱雀の顔色を見ている気がした。井坂は日ごとに朱雀の存在そのものをたまらなく鬱陶しく思うようになった。
「そろそろ朱雀さんには消えてもらわんとな・・」
決算前の役員会終了後、銀行出身役員だけを集めた週末の夕食会で、誰にいうともなく井坂は呻くように呟いた。
「まず外堀を埋めましょう・・」
しばらくの沈黙の後、犬飼が意を決したように言った。
「役付きで残すのは朱雀、牧下と沖松。世代交代ということで君と太田が新たに常務ということでいいだろう。それに生え抜きの2、3人を新たに役員登用して朱雀子飼いの役員は関連会社強化という名目で子会社に出せ。子会社が立ち直れば儲けもの。ダメでもともとだ」
社長室で井坂と犬飼は新しい役員人事を決めた。犬飼と太田の常務昇格に加え、河田を専務に昇格させた。業績不振の引責ということで複数の朱雀子飼いの役員を外し、代わりに若手の参与部長を役員に登用する。朱雀にとって小さくないプレッシャーになるはずだった。朱雀一茂を含む3人の生え抜き専務を残しての役員改選なら乗っ取りと業界紙に騒がれることもない。
ひと月後、犬飼が経営企画の武本紘一をともなって社長室に井坂を訪ねた。
「一応、案は用意しました。お目通しを」
犬飼の声に合わせて、小柄で顎の張った四角顔の武本が頭を低くしてA4のシートを井坂に差出した。そこには犬飼が考えた新人事案が記載されていた
「うん、こんなもんだろう」
しばらくそれに眼を落とした後、井坂は犬飼と武本を交互に見ながら表情を変えずに言った。
「役員本人たちにはわしから伝える。彼らの行先と問題点の具体的な内容を一覧にしてもってきてくれ。面談の日時もだ」
遠まわしに朱雀の引退を促そうという思惑の役員人事だった。しかし、それを実行したものの、朱雀の行動には何の変化もなかった。
「相変わらず店を回って店長に好き勝手な指示しているようだな」
情報交換を兼ねた臨時の常務会の終了後、社長室に犬飼と牧下を呼んで井坂が不機嫌そうに言った。
「はい、自分の立場がよくわかっていないようで」
ある店の店長が朱雀から具体的な営業の指示があったが、どうしたものか悩んでいるという話を耳にした井坂は不快な気持ちを抑えきれなかった。
「はあ、店長には相手にするなと言っていますが、何しろ長年しみついた習慣ですからね。何とかしなきゃ組織経営は看板倒れです」
犬飼が苦りきった顔で言った。
社長就任の当初こそ、井坂を最高の人材と持ち上げた朱雀だったが、数年たっても一向に業績が改善しないのをいいことに自分に経営権を返せと遠まわしに口にし始めた。当初は控えていた店回りや商品部への干渉も以前の状態に戻りつつある。
「いやあ、店回りは彼にとって生きがいみたいなものですからね。放っておいても実害はないんじゃないですか。もう、誰も言うことは聞かんでしょう」
牧下が明るい声で言った。
「君は何もわかっとらんな。これはかたちの問題じゃない。根本的な問題なんだよ」
井坂は渋い顔で牧下を見た。
「少し強引かもしれんが最終手段だ。朱雀専務を切ろう」
「朱雀専務を・・?」牧下と犬飼が怪訝そうな顔で井坂を見た。
「たとえどんな親でも最終的には子煩悩だ。朱雀さんの望みはおそらく朱雀専務を次期社長にすることだ。単に息子に後を継がせたいというだけではなく、彼は専務に負い目がある」
「負い目ですか?」
「ああ、自分のわがままで彼は専務の提案を何度も蹴ってきた。そしてこの事態だ。いかに朱雀さんでも悔悟の念をもって当たり前だ。今の朱雀さんの頭には子煩悩と大政奉還を合わせた計画がしっかり詰まっているはずだ。株を全部差し出したのもそれが前提だろう」
「専務がいなくなれば朱雀さんはあきらめるということですか。しかし、専務をどうやって?」
「どんな人間にもプライドがある。このプライドってやつを切り刻めばたいていの人間は心が折れる。食うに困らない人間はとくに簡単だ」確かに、専務はプライドも人一倍で加えて食うにも困らない。犬飼は軽い笑みを浮かべ頷きながら井坂を見た。
牧下は珍しく、複雑な表情を浮かべて終始無言で2人の会話を聞いていた。
ほどなく朱雀一茂は営業本部の一角に小さなパーティションで仕切られたコーナーを与えられた。具体的な仕事はなかった。いわゆる無任所である。もちろん井坂の意をくんで社内の訪問者はない。たまに興味本位と情報収集を兼ねて社外から来客がある程度だった。
(つづく)
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