2024年12月23日( 月 )

経済小説『落日』(36)屈辱3

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谺 丈二 著

 井坂との付き合いを深めるなかで、太田は自分の評価が次第に高まるのを実感した。犬飼と一緒に常務に昇進して以降、太田の酒席の居心地と存在感は誘われてしぶしぶ参加した最初のころとはまるで違ったものになっている。

 そんな太田が台湾の営業に携わったのはある理由があった。それは財務という限られた世界に加えて営業という無限の世界を覗きたいという欲望だった。加えて、さらに、大した実績もないのに、何かにつけ注目される営業幹部に対するささくれた劣等感もその背中を押した。

 高度成長が一段落した1979年頃から思ったように利益が出なくなっていたが朱雀屋は上場企業だった。株主への配当と社会的評価を考えれば売上はともかく、利益は出し続けなければならない。しかも、できることなら前年以上のそれが求められる。営業の弱さのおかげで太田はもう何年も財務のやりくりによる決算の手伝いをさせられていた。

 太田がしたことはまず、遊休不動産の売却だった。朱雀屋は出店のために取得した不動産を少なからず持っていた。不動産が高騰する以前に取得していたそれらの土地は簿価、つまり買値の十倍、二十倍の価格になっていた。最初はその年限りということでしぶしぶ引き受けた資産処分だったが、一度安易な手法に手を染めた朱雀屋の役員たちはその後も太田の手法に頼り続け、いつしか太田の経理処理抜きの決算は考えられないところまできていた。

「当社は小売業でしょう。土地売却での益出しなど、恥ずかしくないのですか」

 財務課長当時、太田は財務部負担ということで割り当てられた益出しを、何の抵抗もなく引き受けてくる財務部長にそう噛みついたものだった。銀行OBの財務部長は役員会の決定だといって、太田の訴えに取り合おうとはしなかった。危機感を募らせた太田は財務諸表で役員たちに問題点を必死で訴えたりもしたが、それを真剣に聞く役員はほとんどいなかった。

 営業で利益が出なくなり含み益での決算が繰り返されるにつれ、バブルで膨らんでいた株や土地などの資産はみるみる目減りしていった。土地がなくなると有価証券、それも底をつくと営業中の土地建物を金融子会社や信託銀行に売却し、それを賃借するリースバックと呼ばれる手法を取らざるをえなくなった。その結果発生する賃借料は銀行金利よりはるかに高い。

 実際に決算を取り仕切る太田としてはその後の結果がどうなるかが怖いほどよくわかっていた。公認会計士や銀行指南によるいろいろな財務テクニックによる益出しは所詮、有から生まれる有でしかない。資産が無限でない限り、資産処分の経営はいつか破綻する。経営の健全化には無から有を生む営業現場の改善が不可欠だった。ずいぶん前から営業役員の手際の悪さが気になりイラつくことも少なくなかった太田だったが、かといって財務しか知らない自分に起死回生の妙手があるはずもなかった。しかし、西総銀に追加融資の依頼に出向くたびに担当幹部から営業のふがいなさとその改善を直接責められることも少なくなかった。

 そんなとき、太田の気持ちのなかで、営業に対するざらついた怒り、屈折した思いが渦巻いた。そしてそれは時折、彼の気持ちの奥で叫び声を挙げた。

 いつかは営業の陣頭指揮を執ってみたい。そんな太田の思いは時間の経過とともに強くなり続けた。

「うちの営業はあてにならんからなあ。太田君、君も1つここらで新しいものをやってみんか。今は玄人より素人の時代だ」

 あるとき、井坂からかけられたその一言が太田の気持ちに火をつけた。頻繁にマスコミに踊り始めたアジアの時代という言葉から太田が思いついたのが台湾への進出だった。

 朱雀屋は台湾に10数年前から商品調達のための駐在員事務所を設けていた。井坂という後ろ盾を得て、太田は本部のアパレル子会社の営業幹部の1人にその実行を指示した。

 提案を受けた営業幹部は乗り気でなかったものの、井坂の名前を出されるとしぶしぶ承知した。太田の計画は責任能力のある実行当事者が決められることもなく漠然と進行し台北の駐在員事務所を通した現地資本との合弁というかたちで着地した。

 現地店舗の開店式は井坂も参加して大々的に行われ、その様子は新生朱雀屋のアジア戦略のスタートとしてマスコミにリリースされ、朱雀屋グループの社内報でも大きく紹介された。ところが太田の意に反して、結果は惨憺たるものだった。

 当時、台湾は急激な発展のなかにあった。しかも坂倉のいうように世界のファッションの産地でもあり、台北には東京並みの感覚の店も少なくなかった。

 何の戦略もなく、出店したファッション専門店は開店後しばらくすると客がまばらになり、大きな赤字を生んだ。挙句の果てに間もなくして資本参加した提携先が倒産するという泣き面に蜂の結果を生んだ。

 よそ者の坂倉から、したり顔で皮肉を言われことも含め、酒の席で初めて味わう不快と焦燥のなか、改めて、無から有を生む営業の容易なさを思い知り、苦り切った顔でウーロン茶をすする太田の耳に坂倉の饒舌とプロ並みの歌唱力の雅子が歌うロバータ・フラックの「やさしく歌って」が交錯した。

(つづく)

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