2024年12月23日( 月 )

経済小説『落日』(40)負の連鎖2

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谺 丈二 著

 井坂太一と石井一博の出会いは井坂が朱雀屋にきて間もなくのことだった。当時、石井は西日本総合銀行のすぐ近くにある朱雀屋の旗艦店舗の店長をしていた。その店の店長は着任するとその足で西総銀本店を訪ね、幹部に挨拶するのが慣例になっていた。

 朱雀屋きっての大型店でしかも西総銀本店と徒歩10分あまりのところにあるこの店の店長人事は、その日のうちに審査部など西総銀の関連部署に店の外商などを通じて伝わる。

 前任者との業務引き継ぎの後、数日以内に外商部長をともない西総銀に挨拶に行く。ところが、石井はいつまでたってもそれをしなかった。

「官庁や同業者ならともかく、西総銀は半ば身内じゃないか。少なくない役員を派遣しているんだ。そこに顔を出してよろしくというのは気が進まんよ」

 周りが進める挨拶訪問を石井は頑として受け付けなかった。だが、西総銀にとって、店長の挨拶は単なる世間的儀礼だけではなかった。過去、西総銀幹部は新任の店長と名刺交換をした後、自分を含めた家族や親しい友人から頼まれて店の商品を通常より安く手に入れるという悪しき習慣があった。

 衣類やギフト、ゴルフ用品、家具家電などその要求は多岐にわたった。着任からしばらくの間、新店長は少なくない“たかり同然”の外商経由の販売伝票にサインをしなければならない。その段取りを無視した石井は礼儀知らずと銀行内で話題になった。

 もともと朱雀屋はこと価格に関しては厳しい公平性を貫いてきた。一般の企業にありがちな社員割引の類などは一切なく、お客も社員も同じ値段というのが経営原則だった。言い換えればこれは朱雀屋社員のプライドでもあった。

 このプライドを最初にかなぐり捨てたのがほかならぬ牧下だった。牧下はあるとき、銀行の審査部の幹部のゴリ押しを聞いた。もちろん、あとは「俺も俺も」の大合唱になった。石井はこのあたりの事情をよく知っていた。

「この伝票を通したのは誰だ?」

 あるとき、高価なゴルフセットが外商を経由してとんでもない安い値段で売られていることに気付いた石井は、外商担当者を詰問した。彼は恐縮することもなく、過去の慣習だとの言い訳の後に西日本総合銀行のある役員の名前を口にした。

「正規の金額をちゃんと請求、入金してもらってください」

 石井はふて腐れるように言い訳をする外商担当の言葉をさえぎりながら冷たく言った。恥をかかされた格好になった銀行の役員は犬飼にやんわり嫌味を伝えた。

「次期副社長の顔を潰すようなことをするなよ」

 犬飼は早速石井に電話を入れた。頭ごなしのいかにも威圧的な言い方だった。

「犬飼さん? どちらの犬飼さんですか。次期副社長の意味もよくわかりませんが」

 石井の口調は犬飼の神経を逆なでするには十分だった。

 井坂太一が犬飼とともに店に現れたのはそれから数日が経ってからだった。

「きみはなかなか元気がよく、真面目らしいな」

 店長応接室に座ると井坂は薄笑いを浮かべながらやんわりと口を開いた。

「ええ、この稼業はまじめにやらないとすぐに変なところに流されますから」

 石井も皮肉っぽく笑いながらそれに応じた。

「ところで君の服装だが、仮にもここは朱雀屋の旗艦店舗だ。上下色の違う服装はどうなのかな?」

 井坂はいきなり石井の服装に注文を付けた。

「銀行ならルール違反だよ」

 そのとき、石井は金ボタンの紺ブレにグレーのフラノ地スラックスだった。

「銀行はどうか知りませんが、普通の社会では特別な格式の場所を除けば、これで礼に反することはありません。しかも、私の職場は小売ですから。まったく問題ありませんね」

 石井は目の辺りに皮肉のほほえみを浮かべた。

 その時以来、石井は犬飼と井坂の胸に敵として憎しみとともに刻みつけられた。

「改装投資だと? 成績が上がらないのを店のせいにするのは100年早いんじゃないか?」

 店舗改装の提案企画書をテーブルに放り投げると井坂は鼻で笑いながら石井を見た。

「そんなことより、今のままでもやることは山ほどあるんじゃないかな」

 井坂の言葉を補うように犬飼が両手をポケットに突っ込んだままで言った。

「こっちはそれなりの人材で企画を立ち上げているんだ。こと戦略に関してはあんたの意見を聞く必要はないね」

 現場と本部の感覚のずれを口にした石井の意見を犬飼は一言で切り捨てた。

 朱雀屋に限らず、大型スーパーは過去の踏襲の繰り返しで、消費者から見放されつつあった。石井の提案は大型店を専門性の高い形態に変えようというものだった。

「石井君、組織にはルールと担当があるんだよ。あんたからいわれるまでもなく、会社にもそれなりの考え方と計画があるんだ。中途入社でたいして実績もないあんたがこの大型店を任されているだけでも会社に感謝してもらわなくてはな」

 真剣に計画を提案しようとする石井に犬飼はにべもなかった。

「わかりました。それでは部署替えをお願いします。やるべきことをやらしてもらえないで結果だけ評価されても面白くありませんからね」

 石井の申し出はもちろん犬飼の思うつぼだった。数週間後、石井は関連の年商100億足らずの子会社スーパーへの出向辞令を受け、その後すぐ、自らの意思で転籍した。

(つづく)

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