2024年11月25日( 月 )

経済小説『落日』(49)リバイアサン1

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谺 丈二 著

「常務、うかがいにくいことですが、銀行の当社に関する青写真に何か新しい具体的なことがあるんでしょうか?」

 このままでは朱雀屋は本当の機能不全に陥るという漠然とした不安のなかで石井は関連会社の経営会議の後、関連会社統括部長の長谷信夫に話しかけた。

 西総銀支店長OBの長谷は2年ほど前、無任所の常務として朱雀屋にきていたが、佐藤が銀行に帰った後、急きょその後を受けて今は関連会社を担当している。

「私も君に少し話があるんだ」

 長谷は朱雀屋の本部があるK市には単身赴任で月に二度ほど実家のあるF市に帰ってくる。自宅には妻と成人した娘がいる。石井と長谷が会ったのは長谷の実家近くのこぢんまりとした料理屋だった。

「久しぶりのお休みに悪いですね」

 石井が長谷にビールを勧めながら言った。

「なあに、この歳になれば別にこれといってすることもないからねえ」

 グラスを口元に運びながら長谷が笑った。

 2人は本部での会議でたまに顔を合わせることはあるが、落ち着いて話をする機会はなかった。時間がないということではなく、石井が井坂から嫌われていたからだった。自分になびかない人間は徹底して遠ざけるという井坂は、そんな人間と自分の取り巻きが接触することを極端に嫌がった。長谷は井坂の取り巻きというのではなかったが、井坂の手前、石井と親しく話すのは何となく気が引けた。しかし、現場の幹部から聞く石井の評価は低からざるものがあった。めったに人にいい評価を与えない牧下でさえ、石井が現場に強いということを認めていた。以前から一度機会を見て、石井とじっくり話してみたいと思っていた。

「時に石井さん、当社はどうして業績が改善しないのかな?」

 長谷は面長の額に軽くしわを寄せ、石井に問いかけた。

「そうですね、現在の小売は製造業の部分も強く意識しなければならなくなっています。そこに手を付けない限り、真の意味での業績の改善は無理ですね」
「というと」
「私たちが扱う商品は以前に比べ、極端にライフスタイルが短くなっています。販売期間が短くなるということは、商品の減耗リスクが発生するということです。以前のように仕入れた商品のほとんどが正規の価格で売れれば問題はないのですが、消化率が悪いとなると、規模の大きさが逆に不利に働きますからね」
「スケールデメリットというやつだね」

「ええ、私たちの業態は取扱商品や種類が半端じゃないですから、迅速な方向転換ができない大型船に似ています。平たくいえば、時流に素早く適応できないということです。もちろんこれは当社に限ったことではありませんが」
「商売のやり方に問題があるということ?」
「はっきり言ってそうです」

「どうすればいいのかな」
「高度成長期は過去の踏襲でしのげました。取扱商品も少なく、画一、大量の消費形態だったので、品切れだけに注意すれば何とかなったのですが、平成に入るころから、消費者が変わりました」
「どういうことかな?」

「一言でいうとモノがあるだけじゃ売れなくなったってことです。お客が今求めているのは、複数の快適さです。価格だけではなく、売場の楽しさや商品の質、人のサービス。それなりのコストを掛けなければモノは売れません。しかし、現状はなまじ売場が広いばかりに、市場のニーズに関係なく売場を埋めるというだけのダラー計画で品ぞろえが進むんです。
 しかも過去の実績というかたちがベースですから、完全に顧客の嗜好変化についていけない陳腐化した売場になります。だからまともな値段で商品が売れなくなるわけです」

「結局、値下げのオンパレードか」
「そうです。値下げが常態化すれば、お客はまともな値段で買うのがばかばかしくなります。結論としてモノはますます売れなくなります」

 その後、石井は、市場動向とマーケティングの重要さを、自社の問題点を具体的な例を挙げて長谷に話した。

(つづく)

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