小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(4)アメリカ本土へ
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安い切符のせいかフライトは深夜便、しかもロス経由のサンフランシスコ行きだった。機内では深夜12時を過ぎても眠れない。
いろいろなことが頭に浮かんできた。一番の反省は、“もっと会社のために働いておけばよかった”という感情だった。
会社も仕事も嫌いだった。それは間違いのない事実だった。でも仲間を裏切ったような気がした。本当にいい人ばかりだった。たくさんの人が、ジョージ君の未来を案じてくれた。
青森出身の山田君は、
「ジョージ君、昼食を食べない?ところで、あんた会社を辞めてアメリカに留学するだなんて聞いたけど、ほんとうか?」
「まあ、その気だけど」「ところで、ジョージ君は、どこの大学をでたの?」
「立命館大学」
「そうでしょう。あんたが早稲田や慶応を卒業していたら、僕も反対はしないけれど、立命館大学出身では、アメリカの大学を卒業するのは、無理だと思うよ」正直いえば、確かにそうだと思った。でも出てきた言葉は、「やってもみないのに、なぜそんなことをいう。人をバカにするなよ。俺には勝算がある。根性でやってみせる」。
彼はジョージ君の迫力を前に黙った。やがてジョージ君は、彼に礼を言った。
「心配してくれてありがとう」
30歳前後の係長クラスからは反発があった。それは当然だと思えた。仕事に一番油が乗り、張り切って頑張っていた世代だった。ジョージ君のような半端者が、アメリカ行きを決断しても、讃嘆するわけにはいかない。
ところが、定年間際の1人の役員が、一番喜んでくれた。彼がランチに誘ってくれた。
「俺も若かったら君と同じことをする。転勤、転勤で全国を渡り歩き、社長室長まで登りつめた。サラリーマンとしては順調に出世してきたよ。でも長い間、一軒家の借り上げ社宅で過ごしてきた。来年は定年で、今後は住む家もない状況だ。俺の分まで、ジョージ君、頑張ってくれ」
辞表を出した後の1カ月は辛かった。仲間を裏切った気分だった。仲間に悪くて、顔をあげて社内を歩けなかった。
ふと、機内で現実に返り、周りを見渡すと誰もが眠っている。2名の客室乗務員の女性が雑談をしていた。ふらふらと立ちあがって、夢遊病者のように、彼女らのもとに向かった。
席が1つ空いている。英語を話そう。何から会話をスタートしたか、記憶はない。やがて私の身の上話になった。
「会社を辞めてアメリカにいくの? 目的は?」
私よりかなり年上の女性たちであった。2人のなかの年長と思われる客室乗務員が言った。
「多少は日本のことを知っているけど、終身雇用制の日本社会では、アメリカの大学を出ても就職はできないでしょう。それを承知でアメリカに行くの?」
「はい、そうです。アメリカ行きは私の夢ですから」
「You stand up, I would hug and kiss you.(分かったわ、貴方のその勇気と前途を祝福してあげる)」2人は代わる代わるジョージ君を強く抱きしめて、キスをしたのだ。それは日本では味わうことのない、アメリカの母の味だったかもしれない。
この出来事でジョージ君は安心して眠りについた。目が覚めると外はうっすらと明るくなっていた。ロサンゼルスはもう近い。
隣には若い中国人の男の子が座っていた。英語で話しかけてきた。
「どこに行くの、何しに?」
私は同じことを彼に聞いた。
「僕は18歳、高校を卒業したからロスに留学する。5人兄弟さ。長男はイギリス、次男はオーストラリア、3男はカナダ、4男の私はアメリカ、5男はこれから発展する香港・中国で成功するよ。誰か南米に行ってもいいな。私か、カナダの兄がそうするかもしれない。父は5人の男の子が5大陸で成功するのが夢さ」
「それが劉家のリスク管理。戦争が起こっても、革命があっても、劉家の誰かが生き残る」
私は感動した。中国人の発想のスケールは島国日本にはない。日本はこれからますます繁栄するだろう(このころ、中国の成長はまだスタートしてもいないのだった)。はたしてどこまで行き、どこで終わるのか。
地理の先生は言っていた。
「山から川の水が数日で海に到着するような国民は発想が短期的。大陸のように滔々と流れる川、そこに住む国民の発想は長期的である」
その話を思い出していた。中国はやがて再び大国になる。そんな気がした。
ロサンゼルスで飛行機を乗り換えた。黄色い機体の眼下にあるシエラネバダ山脈は雪に覆われていた。後で知ったことだが、シエラネバダとは、スペイン語で「雪に覆われた」という意味だそうだ。
南国のロサンゼルスの山に雪がある。不思議な気がした。島根から出て、京都の大学を受験したときに、遠くの寺(仁和寺)の五重の塔が雪に覆われていた姿を思い出して、感傷的になった。あの時ほどの溢れる思いも、体力もないかもしれない。多少、世の中が自分の思うようにならないことも知った。自信を失っていた。
時代に遅れた日本人、ジョージ君は、一度は海外に雄飛しなければと思っていた。誰にもいえないが、幕末の志士、吉田松陰を尊敬していた。明治維新、大日本帝国という言葉が好きだった。
移民局、空港をどうして無事に通過できたのか定かではないが、ジョージ君はグレイハウンドのバスに乗っていた。初めてみるサンフランシスコの街は、丘の上に色とりどりの住宅がぎっしり建っていた。
緑が少ない、異国の地である。不安がよぎる。やがてオークランドのバス・ステーションに着くと、周辺は黒人のホームレスで溢れていた。恐ろしい。この人たちには、私の空手も拳法も通用しないと思えた。
あちこちから金を出せと手が出てくる。相手にせず、ローカルバスに乗る。目指すはホーリー・ネームズ・カレッジ。この女子大の校舎を利用して英語学校のESLが経営されていた。その女子大の寮に入った。そのころから時代はかわりつつあった。女子大は敬遠され、共学に変わりつつあった。男子生徒もいた。
校舎はオークランドの山の上、絶景だ。サンフランシスコ湾には、たくさんのヨットが浮かび、夢のような景色だった。
これからどう人生を転回するか?大げさな「転回」という言葉を使って、一応、会社の上司や同僚に絵葉書を書いた。心が高揚していたのだ。
不安はあったが、幸福な、ほんの一瞬だった。やがて、誰かがドアをノックした。それが人生最大の危機になることをジョージ君は、まだ知らなかった。
(つづく)
【浅野秀二】
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