2024年11月24日( 日 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(5)危機

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 ドアの外には、がっちりした韓国の若者が立っていた。背丈は176㎝ぐらいか?3月だというのに、半そで姿で、両腕は筋肉で盛り上がっていた。

「MAY I COME IN」

 下手な発音で聞いてきた。ジョージは英語で答えた。

「オフコース、もちろん」

「お前がミスター・ジョージか?学校の事務局が、空手(実は日本拳法だが)のブラック・ベルト持っている日本人がきたと今聞いた。」

「お前はこの寮で何が起こっているか知っているか?」

 急な話にジョージ君は面食らった。彼は何を言いたいのだ?

「何も知らない。私は数分前に、この部屋に入ったばかりだ。」
「では教えてやろう。毎日、日本の女子留学生が誘拐されて、アラブ人の男たちにレイプされている。俺は東洋人の男として、こんなことは絶対に許したくない。彼らを叩きのめすが、日本の男たちに声をかけても誰もついて来ない。お前、一緒に戦おう。やるか?」

 いきなりそんな話をされてもチンプンカンプンである。だが、黙って聞くことにした。アラブ人は36名くらいいるらしい。当時はオイルショックの後だった。信じられないくらいの金をもった、先進国のルールを知らないアラブ人で、アメリカの大学は溢れていた。

 もちろん、ジョージの答えはNOだった。そのようなやくざの出入りに似た、助っ人の話に乗るわけにはいかない。会社を辞めてまでアメリカにきたのに、寮生活初日から喧嘩に誘われ、闘いに巻き込まれるわけにはいかない。怪我をしたり、死んだりしたら、先輩や友人は笑うだろう。親はどんなに嘆き悲しむか?

「お前は日本人だろうが。俺は日本人は勇気ある国民だと思っている」

 この「日本人」という言葉を聞くと、突然、心が直立不動して、思考が停止してしまうのが、ジョージ君のくせだった。誰から教わったわけでもなかった。

 子どものころから、「にっぽん」と聞くだけで感情が高ぶり、時には涙があふれ出た。これは彼の個性というしかない。断ろうと思ったけれども、出てきた言葉は驚いたことにイエスだった。

 韓国人の若者が、日本女性を救うというのだ。ジョージ君はかっこつけたかったのかもしれない。まだ25歳の若者だった。侍になりたいと思ってもいた。そこまで言われて逃げては、日本人の恥だと思ってしまった。

 韓国人の男、KIM(金)が去った後、悩んだ。大変なことにイエスと言ってしました。ハチャメチャな青春だったが、今まで不良やチンピラとの、もめごとには極力関わらないように生きてきた。そのような人生はバカらしいと思ってきた。ケンカに命をかけるほど愚かではない。

 国家のためなら死ねる?考えすぎだと、心のなかで否定した。それでも今回は正義の戦いに思えた。日本の女子留学生を救うのだ。しかし、何の恩義もない、見知らぬ彼女たちのために、どうして命のリスクがある戦いをしなければいけないのか?

 しかも、初対面の男に扇動され、こんなに容易に最悪な選択をしてしまった。後悔した。逃げだそう。でも日本人の男は勇気がないと思われたくはない。男の約束もある。迷いに迷った。

 戦いの前夜も眠れず、カセット・テープをかけた。森山良子の歌「グリーン・グラス・オブ・ホーム」が流れてきた。アメリカのカントリー歌手のジョニー・ダレルが1965年に発表した楽曲で、ジョーン・バエズやトム・ジョーンズもカバーしていた。戦場では多くのアメリカの若者が、この歌を聞いて、ベトナムのジャングルで泣いていた。

 森山良子の声は澄み切っていた。歌詞が心に染みた。東京でも迷ったが、アメリカで早くも俺は本当に迷ってしまったのか?もう二度と故郷の土を踏めないかもしれない?

 アメリカに来てわずか1週間目だ。理性が叫んだ。バカな真似はやめろ、逃げろ。涙が自然と頬を伝わって流れてきた。金縛りにあったように逃れられない。

 なぜだ?神風特攻隊の若いパイロットは、国運を背負い、逃れられなかったが、私は自由の身のはずだ。この行為に得も何もない。リスク100%の世界に、なぜ向かうのだ。

 あの時KIMが言った言葉を思い出した。

「2日後、金曜日の夕方6時に講堂にみんな集める。お前はできるだけ強そうな格好をしてこい」

 明日は、ついにその日だ。朝がきた。まだジョージは寮にいた。結局、逃げることができなかった。勇気が無かったのだ。逃げるにも勇気がいることを知った。

 日本人が、韓国の男の前で逃げ出すわけにはいかなかった。日本男子のメンツだ。ジョージ君は決心した。もう逃げない。やる。決心がついた。俺はもう逃げない。

 下駄をはき、黒帯を締めた。彼はミリタリールックできた。2人は壇上に立った。あとで知ることになるが、彼は韓国の猛虎部隊出身だった。大日本帝国陸軍の将校だった朴大統領自慢の部隊だった。空手4段以上で組織した人殺し集団だった。

 ベトナム戦争に行って、ベトナム人を1人殺し、耳か鼻をちぎってもって帰ると、米軍から現金100ドルがもらえた。1日10人殺すと1,000ドルを稼いだ。本物の殺し屋、戦争のプロだった。

 彼がへたな英語で演説した。今でもこの英語がジョージ君の記憶から消えることはない。永遠に忘れられない。

“From now on, anybody touch oriental girl, I will break your neck.”(今日から東洋人の女性に手を出したら、お前たちの首をへし折る。)

 2対36、相手は勝てると思っていた。アラブの男たちが立ち上がった。ジョージ君はジャック・ナイフの鳴る音を数えた。

 カチカチカチ…6回、向かってきた男は6人だった。ジョージ君は本能的に考えた。1番前の男と2番目には、下駄を顔面におもいっきり投げつける。その後はどう戦う?

 その時突然、KIMの声が、静かに講堂いっぱいに広がった。さっと右手を上げて、手を彼らの方向に差し出し、ドスの聞いた声で唸った。

「俺がこの右手で何人の人を殺してきたか、お前たちは知っているのか?」

 そのときの、彼の蛇のような目を、ジョージ君は永遠に忘れられない。本当に人を殺してきた人間だけがもつ、特殊な冷酷な眼つきだった。ジョージ君が体験する初めての戦場だった。

 要するに、「今、あなたたちが私を叩きのめしても、俺を殺さない限り、俺は今夜でも、明日でも、生きている限り永遠にお前たちを襲う。必ず仕返しをしてお前たちを殺す…。俺を殺さない限り、いつか絶対に殺す。殺し屋だからな」ということだ。

 アラブ人もその気配・殺気がわかったようだった。彼らは引き下がった。その日は戦わずして勝利した。そして、彼が部屋にやってきた。

 「ジョージ、酒を飲もう」

 彼は酒がまわるにつれ、ワンワン泣き始めた。

「俺たち韓国人は、柔道をしても、空手をしても、スポーツをしても、勉強しても、何をしても日本人に負けるものはない。しかし、3対3、5対5で、日本人と韓国人が喧嘩したら、100%俺たちは負ける。絶対に勝てない。お前たちは団結する強さを知っている。悲しいかな、我々は団結を知らない」

 KIMは、日本人の団結力を高く評価していた。韓国人の彼らが高く評価したその価値観は、今の日本にあるのか? 気になった。日本人は日本人の良さを失いつつある。資源がなく、人材しかいない日本の良さを再認識しないと、日本は潰れる。それでもまだ当時の日本は勝ち続けていた。経済はオイルショックを克服して再度高度成長時代を迎えようとしていた。

 死闘は無事に終わった。戦いはもういい。女を追っかけている方がまだ平和だ。そのとき、本来のジョージ君に戻った。徴兵がある韓国に日本は勝てない。敗北感のようなものも襲ってきた。

(つづく)

【浅野秀二】

(4)
(6)

関連キーワード

関連記事