2024年07月16日( 火 )

経済小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(8)ホームステイへ

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 アメリカにきたら、日本人と付き合ってはいけないという人がいる。ジョージ君の経験からいえば、そうではない。留学生にとって必要な情報は、アメリカ人学生からは手に入らないものである。ホームステイの情報もそうだった。

 Bank Of Stocktonの頭取の家に住んでいた芙美さんから、その情報はもたらされた。この街で一番の名門ファミリーが、スクール・ボーイを探しているそうなのだ。

 スクール・ボーイは、アメリカの家庭に寝泊まりし、食べさせてもらい、学校に行く。そのかわり、男の子は庭の掃除や芝刈りをし、女の子は子守りか、掃除、食事の用意をする。一部の金持ち家庭は、将来的な政治・ビジネスのコネをつくるため、新興国の留学生と親しくなり、外国人に部屋を提供していた。もちろん、親切心で里親をする、面倒見の良い家庭も、たまにはあった。

 アメリカはまだまだ豊かだった。ジョージ君のホストファミリーは金持ちの家らしい。

 一日も早く行きたかった。彼らもすぐに来いという。金曜日の午後だった。庭が1,200坪もある大きな家だった。裏庭は運河に面していて、2艘のパワーボートが横付けしてあった。50代前後の夫婦が、ものすごく喜んで迎えてくれた。歓迎されているようで、うれしくなった。

 奥さんのベティーは金髪で170㎝ぐらい。怖そうな、いや、気難しそうな印象をもった。ご主人のハイドン氏は想像していたより、小男で奥さんの背丈と変わらないが、がっちりしていた。気さくですぐ笑うが、時々見せる、厳しい顔が気になった。

 案内されたジョージ君の部屋は、日当たりの悪い、地下室のような部屋だった。スクール・ボーイや女中の部屋は、屋根裏部屋か地下室と相場は決まっている。それでも当時の日本の学生の下宿や会社の寮と比べれば、広く、夢のような部屋だった。しかも、外に出れば、庭や運河がある。ようするに、憧れの“ウォーターフロントの家”だった。

 これで部屋代も食事代もフリー(タダ)。あとはどうやって大学に入るかだ。いつまでもアダルト・スクールにいるわけには行かない。

 夕食の時間がきた。疲れと英語を話したくないという理由で、そのまま部屋にいたが、7歳の娘が子どもらしくはしゃいで、うれしそうに呼びにきた。テーブルに座ると、ベティー(奥さん)がやがて、口をひらいた。

「ジョージ、君は本当に良い時にきたね。私たちは明日から2カ月、カナダに旅行に行くの。だから明日から君が留守番よ。これから子どもたちを紹介するわ」

 彼女が男のように口笛をピューと吹くと、なんと6名の子どもたち(なかには大人もいた)が、ドタドタと入ってきた。どうやらこの夫婦は再婚同士らしい。

 父親(ハイドン)の連れ子は、私より数カ月年上の長男ジョン、二男のポール、そして三男のハンク。母親(ベティー)の連れ子は、高校生の長女マリー、長男のワグナーと、末娘のアンネだった。

 ベティーが私の前に財布を投げ渡した。見たこともないような分厚い財布だった。

「これが2カ月分の生活費よ」

 ついでに彼女の車のカギも渡された。クーガーのオープンカーだった。

「必要があれば、君は運転してもいいが、くれぐれも子どもたちには運転させないように」

 まだ、会って3時間もたっていないのに、外国人の私に財布と車のカギを渡して、子どもたち6名の面倒を見ろというのだ。信じられない人たちだと思った。

 一応、形式的に断った。

「あなたの息子、ジョンは26歳で、私より数カ月だが年上だし、英語もアメリカの習慣もわかっている。彼に頼んだらいいじゃないか。私はまだアメリカにきて1カ月しかたっていない。その仕事はあまりにも重荷だ」

 内心、彼らがいなくなるのは、気楽でいいと思った。ただ、英語だけを話す環境にすでに疲れていた。1日目なのに、もう逃げたいとも思った。

 ベティーが言った。

「ジョージ、君はなんてことをいうのよ。子どもなんか信用できるわけないでしょう」
「では今、会ったばかりの私を信用できるの?」

 彼女はキョトンとした顔をして言った。

「当たり前じゃない、ジョージは日本人でしょう。日本人を信用できなくて、このカルフォルニアで誰を信用できると思う?私たちは親の代から500人以上の日本移民を雇ってきたけれど、一度として、1人として、裏切られたことはない。彼らは正直で勤勉で、誰よりも信用できる」

 私は納得した。

「ところでジョージ、今夜はこの家に泊まるのか?」

 一瞬、頭が混乱した。

「今日ホームステイが始まったばかりなのに、ここに泊まってはいけないのか?もちろん、泊まりますよ。そのためのホームステイでしょう。今日泊まってはダメな理由でもあるの?」

 気分を悪くして、強く言い返した。

「おい、誤解をするなよ、今日は何曜日だと思っている?金曜日だよ。だからガールフレンドのところに行って、泊まってきてもいいと、言っているんだ。親切で言っているのだよ」

「残念だが、ガールフレンドはいないよ」
「おお、ジョージは不健康な暮らしをしているね。お前は何歳だ?」

「26歳」

(日本では普通の女性友達を、Girl Friendと呼ぶが、アメリカでは特別な関係にある女性のみ、ガールフレンドと呼ぶということを、このとき、知った)

「私の高校生の娘、マリーは、昨日はA男、今日はB男、明日はC男のところに泊まってくるわ」

 ジョージ君は思わずベティーに、「You are a crazy mama(おかしな母親だね)」と言った。

「長い人生のなかでそんなことは、なんでもないことよ。女はいろいろな男を体験して、自分に合った男を探すの、それが幸福というものよ」

 高校生の娘が男の家に泊まり込むことをなんとも思わない母親がいる。しかも毎晩、男を変えているという。いくらアメリカでも、それは非常識だと思えた。彼らはアングロ・サクソンで金持ちだからなのか、何かが違う。

 大変な家庭に入ってしまった。この経験があったからか、英国王室のチャールズ皇太子とカミラ夫人の再婚に、なんの違和感ももたなかった。彼らは本音で生きている。日本の皇室とは違う。アングロ・サクソンの繁栄は400年続き、アングロ・アメリカンとして考えれば、今も覇権を握っている。大日本帝国は半世紀少々で消滅した。考え方の違いに、ジョージ君は非常に興味をもった。

 ハイドン夫妻の出発まで時間がほとんど無かったため、ジョージ君の仕事は明確ではなかった。「とにかく留守を頼む」ということだけだった。

 考えてみれば、“日本人”ということだけで、すべてを任された、執事のような立場であった。正直何をすべきか分からなかった。今後、判断力が試される事件があるに違いないと感じていた。

 さて、家主のいない気楽なホームステイが6人の子どもたちと始まった。子どもたちは人懐っこく、すぐに友達になれた。26歳のジョンと23歳のポールは、私とあまり変わらない年齢だが、ともに生活力はなく、親に頼った暮らしをしていた。

 彼らはジョージ君が珍しかったのか?寂しかったのか?事あるごとに訪ねてきた。父親側の男の子たち、ジョン、ポール、ハンクにとって、新しくできた継母、ベティーには、そう簡単に馴染めなかったようだ。

 とくに三男のハンクは非常に気が短く、すぐにキレ、ベティーの長男、ワグナーを頻繁に泣かした。しかしどういうわけか、ハンクがジョージに一番近づいてきた。お互い、孤独だと感じたようだ。

 とにかく、「どうしたら喧嘩に勝てるか?東洋の武術が習いたい」としつこく聞いてきた。長男のジョンは最近離婚をして、親元に帰ったばかりだった。とにかく、いろいろと家庭内部の話を聞かせてくれた。

「ベティーと父が結婚する前は、家族4人で貧乏なアパート暮らしだった。ベティーのおかげで親父は社長になり、我々もリッチな暮らしができるようになった。けっこうなことだらけだよ」

 と皮肉いっぱいに言った。そして、二男のポールとベティーの長女、マリーはやがて、お互い愛し合うようになるのである。

 間もなく、ジョージ君の判断力を試される小さな事件が起こった。ある日、突然ノックもせずに7歳のアンネが、ジョージ君の部屋に飛び込んできた。「早く来い」という。行ってみたら、なんと6人の小学生の女の子が、ポルノ映画を鑑賞していた。ニタニタ笑った幼いアンネがジョージ君を見つめて聞いた。

「ジョージもこんなことがしたいんだろう?」

 返答に困った。なんと答えたらよいのだろう。大人をからかっている。バカにしているかのもしれない。子どもたちはジョージ君を見上げて、くすくす笑っている。思わず「How about you?(君たちはどうなんだ)」すると彼女たちは「早く大人になってこんなことがしたい」とあっけらかんと答えた。遺伝子のもつ本能の凄さに今さらながら感心した。

 彼女たちは7~8歳である。ビデオを取り上げようとしたが、子どもたちは猛然と抗議をしてきた。ジョージ君は抵抗にあって、簡単に引っ込んでしまった。

 ジョージ君の権限はどこまであるのか。日本人特有の人の良さもあり、悪いと判断したが、取り上げるまではしなかった。また、アンネは何度か小銭を借りにきたことがあった。それは25セントや50セントであった。この家庭には世話になっているし、小さい金額だ。
それはもう、くれてやったものだと考えることにして渡した。

 後日談だが、夕食のとき、ジョージ君はアンネに金を貸したことをポロリとベティーに言ってしまった。ベティーの眼つきが変わった。

「私の娘は君に金を返したの?正直に言って欲しい」

 嘘をつくわけにもいかず、「NO」と答えた。彼女は怒った。

「ジョージ、お前は大人なんだ。なぜ、彼女から返してもらってないのか?請求をしたのか?」
「いや、請求はしていない」

「それは良くない。子どもが間違っていることをしたら大人が咎める、それが大人の責任だ。人の悪いところや犯罪を見て見ぬふりをする、知らぬふりをすることはアメリカでは共犯というんだ。君はだめな大人だ。私の指示で動くのではなく、君の常識で判断、ベストと思うことを私たちの子どもにするのが、私の期待していた行動よ。君のその日本人の良識に期待しているのよ」

 さんざん説教を受けた。そこにいるアンネには一言も小言はなかった。割り切れない気持ちは残ったが、確かにそうである。責任ある大人は、こどもの間違いを見逃してはいけない。それは一理あるのだ。

 それにても、ジョージはもう1つ、子どもと共犯をしている。ポルノビデオを多少は鑑賞してしまった罪だ。でも、これは発覚しなかった。

※個人の名誉のため、文中の人物はすべて仮名

(つづく)

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