2024年12月22日( 日 )

徳洲会設立、元代議士の徳田虎雄氏死去

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 (医)「徳洲会」の設立者で元衆議院議員・徳田虎雄氏が10日夜、死去した。享年86歳。徳田氏は鹿児島県徳之島町で育ち、1975年に徳洲会を設立し、理事長に就任。“生命だけは平等だ”という理念を掲げ、離島やへき地などの医療過疎地での医療の充実に尽力した。都市部でも病院を経営することで、医師不足や赤字経営の状態に陥りやすい医療過疎地での病院経営を支えてきた。

 徳洲会は現在、76病院、約400施設を有する国内最大級の医療グループへの成長を遂げたが、各地で新病院建設を目指した徳田氏の行動は、各地域の開業医から構成される医師会と激しくぶつかってきた。

 そこで徳田氏は医療制度改革には政治改革が必要との想いから、83年、衆議院選挙に出馬(旧・奄美群島選挙区)。そのときは落選したものの、90年に初当選をはたした。94年に政党「自由連合」を結党、95年に村山内閣で沖縄開発政務次官に就任している。落選1回を挟んで2005年まで4期務めた。本人は1993年の衆議院総選挙(旧・鹿児島2区)の際に自民党から追加公認を受けたものの、県医師会などの反発を受け自民党入りは白紙に。2005年に後継として衆議院議員に当選した次男の徳田毅氏が06年に自民党入りをはたしたものの、公職選挙法違反で14年に議員辞職している。

 02年ごろに筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したが、その後も病床から徳洲会に対して指示を出していたとされる。

【茅野雅弘】

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