2024年11月24日( 日 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(28)お別れの時

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 ジョージ君がホームステイを決めたとき、卒業までの2年間は世話になろうと思っていた。生活のためと、アメリカ人と英語で暮らす時間をできるだけ多くするためであった。しかし正直なところ、生活習慣の違いや言葉の壁があり、相当なフラストレーションが溜まっていた。ホストマザーのベティーが時々口にする、日本人に対する差別的な発言も気になっていた。

 留学生仲間のなかでは「アメリカ人の家で下男のような立場で暮らすことは決してしない」という意見が多かった。しかし、ジョージ君はタダで住まわせてもらい、タダで食べ、バケーションなども一緒に行かせてもらっていた。とくに決まった仕事はなかった。留守番、子どもの遊び相手、スーパーに時々一緒に買い物に行って、荷物運びをする、庭に落ち葉があれば掃く。その程度であった。

 ジョージ君は、学校とアルバイトに明け暮れ、あまり家に戻らなくなったころから、徐々にベティーとの関係が気まずくなっていくのを感じていた。それも当然である。ジョージ君の方に問題があった。留守番役を放棄している状態であった。それでも彼らはジョージ君の経済状態を理解し、我慢してくれていたと思う。そろそろけじめをつけないと、せっかくの良好な関係にもヒビが入る。

 もう1つ気になっていたことがある。ベティーは、あくまでもジョージ君は交換留学生で、やがては日本に帰ると思っていた。自分たちが日本に遊びに行ったときには、日本人の息子として、ジョージ君に日本を案内してもらうことを楽しみにしていた。

 ある日の夕食時、ベティーは聞いた。
「ジョージは日本にいつ帰るの?帰ったら私たちをどこに案内してくれる?とても楽しみにしているわ」
「京都と奈良、九州も良いよ。私の故郷、松江・出雲にも案内する。そこは京都よりも古い日本の都だったんだ」

 ご主人のハイドン氏が言った。
「そんなことはあり得ない、ジョージは自分の運命をまだ知らないんだ。アメリカの土を踏んだ外国人が本国に帰ることはまずない。ジョージもやがて、アメリカ人になるだろう」

 ジョージ君は否定した。「いや、2年以内には必ず帰ります」。

 その後、こんな会話があった。家族全員でピザを食べに行ったときの話だ。ハイドン氏が真面目な顔をして聞いてきた。

「ジョージはデルタ大学を卒業したら、日本に帰る予定なんだな?」
「英語力が不十分だから、4年制の州立大学に行こうと思う」

 ハイドン氏は少し、ビールを飲んでいた。

「やはり、そうか。君は日本には帰らないんだな?君に1つ警告をしておくぞ。
We all love you George. As long as you live in this country as a guest, you are my Japanese son. But once you decide to stay in this country, you will be my enemy.
(私たち家族はみんな、君を愛している。この国にゲストとして住む限り、君は私の日本人の息子だ。だが、アメリカに永住を決意した途端、私の敵になるだろう)」

 ジョージ君は困惑した。どうして突然「日本人の息子」から「敵」になってしまうのか?

「Why all of the sudden, am I going to be your enemy? I don’t understand.
(永住をしたらどうして突然、私はあなたの敵になるの?理解ができない)」

 ハイドン氏は続けた。

「それは考えても見たまえ、君はいまでこそ、言葉も分からない、金もない、貧乏学生だ。でもやがて君は成功し、私の息子や娘を使うような立場になる。私たちは今までの人生でそれをずっと見てきた。ここでもたくさんの日本人が成功している。白人をしのぐようになった日系大農家も、数十年前まではみんな、白人の下で単なる農業労働者として働いていたのだ。彼らの息子は医者になり、弁護士になり、会計士になって成功している。今では白人をしのぐのだ。そんなことが感情的に許せるかね?」

 ジョージ君は尋ねた。

「メキシコ人はもっと大量に移入しているではないか?彼らは生活保護を受け、犯罪も多く、アメリカ社会に非常に負担を掛けている。それなのに、アメリカ人はいつも日本人だけを狙い撃ちしている」
「もちろん、あの鳩胸のメキシコ人も大嫌いだ。でも彼らは許せる。彼らは今の世代も、次の世代も白人の労働力として、我々に奉仕してくれる人たちだ。いわば労働力だ。彼らは我々に必要な存在なのだ。しかし、中国人と日本人は、白人の地位を脅かす存在になる、やっかいな奴らだ」

 ジョージ君はそこまで言われても、ベティー、ハイドン・ファミリーを憎めなかった。彼らがしてくれたことの100分の1も恩返しをしていない。人間はいつの時代も、どこの国でも、誰でも、同じようなものだと思った。日本でもパチンコ屋などで大成功した韓国人に嫉妬をしている日本人は多い。とにかく、彼らがどう思おうと、ジョージ君の信念で付き合えばいい。彼らはジョージ君の恩人なのだ。

    七尾美との同棲話は、ホームステイとお別れする、いいタイミングかもしれない。七尾美から同棲のリクエストの返事を矢のように催促された。住む家がなく、友人のおばさんの家に借り住まいをしていた七尾美は焦っていた。ベティーの家を出よう。日本の19歳の女の子からの情熱的なリクエストに、次第に心を動かされていくジョージ君がいた。

 ある晩、ついに出ていくことを打ち明けた。彼らは以外とさっぱりしていた。「君は27歳にもなる男子、独立するいいタイミングだ」とハイドン氏は言ってくれた。ベティーは「私たちの借りを返さないで出ていくの?」と言った。

 子どもたちは言った。

「ジョージがいなくなると寂しいけど、こんなクレイジーな家族とよく住んでくれたと思うよ。そろそろ彼を解放させてあげようよ」

 ベティーはしつこく言った。

「ジョージ、彼女とここに住みなさいよ。ちょうど、お手伝いさんを必要としているし、2人でここで働けばいい。金も溜まるし、学校も行ける。最高のアイデアだわ!週末、家に彼女を招待しなさい。ぜひ、ジョージの彼女に会いたいわ」

 七尾美にその話をした。しかし、彼女の意志ははっきりしていた。

「何を言っているの、私は自由になりたいのよ。アメリカ人の家に住むわけがないでしょう」

 ジョージは聞いた。

「アパート代や授業料、生活費はどうするんだ?」
「アン、アン、そんなことなど、なんとでもなるよ。行動することが大事よ。意気地無しのジョージ!」

 人生経験豊富で、分別もあると思っていたジョージ君も、19歳のじゃじゃ馬娘にかかると、ただの意志薄弱な優柔不断な男だった。

 ベティーに、七尾美にはホームステイの意思がないことを告げた。彼女はしつこかった。

「でも彼女に会いたいわ。ジョージは私たちの息子。私が会いたいと思うのは当然でしょう?」

 結局、週末に七尾美を夕食に招待をすることになった。当日、七尾美は赤いドレスで現れた。家族のみんなから、どよめきが上がった。

 ハイドンが叫んだ。

「ジョージがこの家を出て行きたくなるのが良くわかったぞ。俺が出て行きたいくらいだ」

 ベティーはハイドン氏に向かって言った。

「Shut Up! 黙れ」

 そしてベティーも叫んだ。

「ジョージ、こんな美しい娘をどこで手に入れたの!私はもう止めないわ。よくわかった。おまえも男ならどこへでも彼女を連れていけ」

 夕食後、七尾美のピアノに合わせてみんなで歌を歌った。ベティーはお別れにジョージ君と七尾美を強く抱きしめた。ジョージ君の顔を見て、ウインクして小声で囁いた。
「ジョージ、この娘は美しくて、まだ若い。男はお前1人では終わらないよ。私にはよくわかる。私の若い時のような汗馬だ。捨てられたら、またこの家に帰っておいで」と言い、にやりと笑った。

 ジョージ君はその言葉をあまり気にしなかった。その後、屈辱的な体験をするとは夢にも思っていなかった。とうとう、1年にもおよんだホームステイ生活が終わったのだ。

(つづく)

【浅野秀二】


<プロフィール>
浅野秀二
(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。

(27)
(29)

関連キーワード

関連記事