2024年08月19日( 月 )

国とメディアのウソ、そして地方自治体と住民 ──玄海原発を考える──(中)

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広嗣 まさし

    「年間100ミリ・シーベルト」とは「人体に害をおよぼさない」といわれる放射線量の基準である。この線量をこえると、甲状腺癌や白血病などが発生する危険があるという。この危険について、国は「100ミリ・シーベルト以下なら大丈夫」と言っている。 

 これだけなら「ウソ」とは言いきれない。国にも資料的裏付けはある。となると、その資料が信頼するに値するかどうか、そこが問題になる。もし信頼に値しないなら、その資料によって自らの見解を根拠づける国は、科学用語を用いて商品を売り込むテレビ・コマーシャルを模していることになる。

 一定の数値を超えた放射線量が人体に害をおよぼし、甲状腺癌などが発生することはチェルノブイリの例を見ればわかる。多くの国はこの事故の教訓から、放射線による癌などの発生を防ぐために厳しい基準を設けている。ところが、日本では福島の事故があったにもかかわらず、放射線量の基準を「広島と長崎の被爆者」の追跡調査に基づいて決めている。これで「大丈夫」なのか?

 国が「大丈夫だ」とする理由は、国連の科学委員会(UNSCEAR)やICRPなどの国際的な権威機関からの「お墨付き」があるからだ。だが、新型コロナウイルスが蔓延し始めたころの「世界保健機関」(WHO)の対応を見ればわかる通り、国際機関であっても信用できない。原子力関係の国際機関に限っていえば、それが原子力産業と結びついている限り、信用するわけにはいかない。

 日本はチェルノブイリと福島の事故を踏まえて厳しい調査をし、そこから独自の基準を打ち出すべきだろう。広島・長崎の被爆者の追跡調査を基準とし、「国際機関」に後押ししてもらうやり方は「ずさん」に過ぎる。

 物理学者の矢ヶ崎克馬氏は、前出のUNSCEARやICRPのほかにIAEAやWHOにも言及し、これらを一括して「国際原子力ロビー」と呼んでいる。アメリカのイスラエル支援の背後に「イスラエル・ロビー」があることを考えると、「ロビー」という用語は極めて適切なように思える。「原子力ロビー」が世界の原子力の有り様を定めているのだ。

 原子力工学者の今中哲二氏は、より具体的な観点から、政府の「100 mSv以下」を問題にしている。「100 mSvとは原発事故の緊急対応で作業員に許される被曝限度」であって、極めて危険な数値だというのだ。

 一方、がん治療の専門家で、放射線が人体に与える影響について詳しい西尾正道氏は、放射線の人体に対する影響は「内部被曝」を重視すべきであり、その際「国際機関が依拠しているシーベルトで測定しても意味がない」と主張している。なぜなら、「シーベルト」の算出は放射線の影響が現れる人体の局部を考慮しておらず、全体の平均値を出しているだけだからというのだ。氏の結論は、日本政府が依拠している国際基準そのものが「あやしい」というものである。

 それにしても、政府の打ち出す基準を「正しい」として、メディアの前でそれを公言する「学者」が多いことは目を見張る。前出の矢ヶ崎氏、今中氏、西尾氏、いずれもそういう「専門家」を非難している。私としては、むしろそういう「専門家」にしか意見を求めないメディアの体質が問題である。メディアは「政府寄り」なのだ。国のウソに賛同するような「専門家」にしか発言を求めない。

 だいぶ前になるが、東京勤務の朝鮮日報の記者が「日本メディアは信用できない」と言っていた。報道の「自由度」において韓国が日本より上であることは、「国境なき記者団」による評価を見てもわかる。2023年の評価では、日本が全世界で68位、韓国は47位であった。

 この評価が100%信頼できるかはわからないが、何人かの知人の話や、私自身の経験からいえば、現政権を否定するような記事を書いても大手新聞にはなかなか載らない。「言論の自由」は限られているのだ。

 若いころに「テレビは日本家庭の神棚だ」と聞いたことがある。もしそうなら、毎日欠かさずこれを拝んでいる日本国民は、知らずに「洗脳」されていることになる。しかし、考えてみれば、「洗脳」されているのは国民だけではない。政府も、地方自治体も、「洗脳」されているのである。住民はテレビに託宣を聞き、自治体は政府の託宣を受け、その政府は「国際ロビー」の託宣をありがたがる。この構造が続く限り、日本は「愚か者の天国」であり続けるだろう。

 もっとも、そういう日本人が「健康」を気にしていないかというと、そうでもない。日本が医療の国として世界のトップレベルにあることは事実だし、それは国民が「健康」の維持を望んでいることの反映でもある。となると、同じ国民が、「どうして原発問題にはここまで目を背けるのか?」が問題となる。原発を「神棚」に祀りあげているわけでもないのに、まるでタブーであるかのように目をつぶっている。約80年前の「原爆ショック」のせいなのだろうか。

(つづく)

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